1974年10月に単身渡米した鈴木茂さんは、10月28日から11月28日までの1か月間でレコーディングして、翌1975年3月25日にクラウンからファースト・ソロアルバム「BAND WAGON」を発表しました。茂以外は全て外国人のミュージシャンを起用してレコーディングされた此の大傑作アルバムで、茂は「ティン・パン・アレーのメンバーを裏切って単身渡米してしまった」と語り、全9曲の全曲が茂の曲で、2曲はインスト(「スノー・エキスプレス」と「ウッド・ペッカー」)ですが、他の7曲は全て松本隆さんが作詞していて、つまりは元はっぴいえんどの裏切り者二人によるコラボレーション楽曲となっております。冒頭の「砂の女」から「八月の匂い」「微熱少年」「人力飛行機の夜」「100ワットの恋人」「夕焼け波止場」「銀河ラプソディー」と全曲が素晴らしい出来栄えで、本場のミュージシャンと演奏しても引けを取らない茂のギターが炸裂し、大いにはっぴいえんど色を残した松本さんの詞も抜群です。特に「微熱少年」は、松本さんが後に小説化して映画化までしてしまった自身のテーマ曲の様な作品ですので、作詞家としての松本さんにとっても此のアルバムは最重要作と云えます。此処での茂の歌い方は、明らかに大瀧詠一師匠をマネていて、其れ故に「はっぴいえんどの4枚目」と呼ばれる事もあります。
此のアルバムが発表された当時、大瀧師匠はライヴで茂の曲だけを披露した事があって、其のあまりのハマりぶりに驚かされたり、大瀧師匠から茂への「BAND WAGON」の先を待っているとの発言もありました。「砂の女」はSUGAR BABEもカヴァーしていて、1994年にSUGAR BABE時代の曲だけでのライヴ「TATSURO YAMASHITA Sings SUGAR BABE」で披露した時に、客席で聴いていた大瀧師匠が感極まって泣いてしまい楽屋にお隠れになったそうです。タツローは茂の曲に対して「茂はギターで曲を作るから、レンジが広くなって歌うのが大変」と語っております。驚くべきなのは、茂以外は全てが外国人ミュージシャンなのに、ちゃんと茂の音になっていて、前述の通り「はっぴいえんどの4枚目」とまで云われる程に「日本語ロック」として成立している事です。松本さんの「100ワットの恋人」みたいな歌詞を、よくもまあ、完全なロックに出来たもんだと思いますし、其の辺は茂が伊達にはっぴいえんどに居たわけではなく、細野さんや大瀧師匠がやっている事をちゃんと見ていて、自身の曲へと昇華させていたと思います。しかしながら、茂が此の大瀧の模倣とも云われた荒荒しい歌唱法で挑んだのはコレだけで、其の後はへなへなした歌い方に変えてしまうのでした。ジャケットにティン・パン・アレーとあるのは、茂なりのお詫びだったのでしょうか。
(小島イコ)