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2023年02月18日

「ナイアガラ考」#29「ほうろう」



1975年は「はっぴいえんどの逆襲」とも呼ぶべきか、もしくは「日本語ロックの大転換」とでも呼ぶべきか、元はっぴいえんどの4人が関わった名盤が続々と発表された年です。まずは、1975年1月25日にMUSHROOM / 日本コロムビアから発売された小坂忠さんの「ほうろう」です。小坂さんは前にも書きましたが、GSのザ・フローラル出身で、細野晴臣さんと松本隆さんが在籍したエイプリル・フールで歌っていて、解散後にはっぴいえんどの前身であるヴァレンタイン・ブルーに加入しようとしたところ、細野さんがギター伴奏で同席したミュージカル「HAIR」のオーディションに合格してしまい、代わりに大瀧詠一師匠が加入しました。だからと云ってはっぴいえんどとの縁が切れたわけではなく、1971年に発表したソロアルバム「ありがとう」は細野さんがプロデュースして、ソロアルバムと云うよりも細野さんとの合作に近い内容でした。1972年には、林立夫さん、松任谷正隆さん、後藤次利さん、駒沢裕城さんと「小坂忠とフォージョー・ハーフ」を結成して、其のメンバーの半分に細野さんと鈴木茂さんが合体して、キャラメル・ママとなり、改名してティン・パン・アレーとなります。ティン・パン・アレーのアルバムでの林さんの楽曲「CHOPPERS BOOGIE」で其の名の通り後藤さんがチョッパー・ベースを弾き捲っているのは、フォージョー・ハーフ以来の仲間だったからです。

さて、此の「ほうろう」は小坂さんと細野さんが共同プロデュースしていて、演奏はティン・パン・アレーで、細野さんがベース、茂がギター、林さんがドラム、松任谷さんがキーボード、更に矢野顕子さんがまだ鈴木晶子名義でキーボード、タツローとター坊と美奈子がコーラス、矢野誠さんがストリングス・アレンジで参加した、今となっては超豪華絢爛なメンバーによる名盤です。しかしながら、1975年当時にティン・パン・アレー系で売れたのはユーミンこと荒井由実さんだけで、他は後に再評価されてゆくのでした。内容は、はっぴいえんど時代の細野さんの「ふうらい坊」や松本さんと茂の「氷雨月のスケッチ」のカヴァー、細野さんの「ほうろう」と「ボン・ボヤージ波止場」、小坂さんの「機関車」と「ゆうがたラブ」、アッコちゃんの「つるべ糸」に加えて、松本さんと細野さんが再び組んだ「しらけちまうぜ」と「流星都市」の9曲で、ファンキーな名演に乗せて小坂さんのソウルフルで絶品な歌声が聴けます。特に松本さんと細野さんが組んだ2曲が素晴らしい曲で、後に小沢健二さんもカヴァーした「しらけちまうぜ」1曲の為に買っても損はありません。裏切り者と云われていた松本さんとも実は相変わらず仲良しだったわけで、其れは此の盤には参加していなかった大瀧師匠も同じだったのでしょう。小坂さんは昨年(2022年)にお亡くなりになりましたが、波乱万丈な人生は語り継がれ、此の名盤も残ってゆくでしょう。

(小島イコ)

posted by 栗 at 21:00| ONDO | 更新情報をチェックする