かつて、年間50興行を生観戦していた頃、あたくしが最も多く足を運んだのは「JWP」と云う女子プロレス団体の興行でした。そして、あたくしは、身長がたったの「公称158センチメートル」しかない「尾崎魔弓」と云う名の選手を熱狂的に応援していました。対抗戦ブームの頃、ダイナマイト関西と組んで全女のタッグ王座を奪取した試合には、大阪まで駆けつけて生観戦し感動して泣きました。3本勝負の決勝は、圧倒的にひとりだけ体格的に劣る尾崎が、豊田真奈美を合体技ながらフォールして決めると云う劇的なラストで、史上初の「全女」のタイトルが他団体に流出した歴史的瞬間の主役となったのです。一緒に遠足した友人は、メインエベントで贔屓の北斗が神取に腕を折られたので放心状態になっていましたけどね。「特リン三万円!」なんてトンデモな価格のチケットを買って、いそいそと女子プロレスに足繁く通っていたのですから、20年前のあたくしは完全にイカレポンチでしたね。後楽園ホールで試合後に偶然に出くわした私服の「尾崎魔弓」は、中学生か?と思える程に華奢で小さくって、俄かに本人とは気が付かなかった。でも、売店でサインしてもらった時には、チビなのに「物凄い殺気」を感じました。
尾崎は「全女」のオーディションを「チビだから」と落とされ、新団体の「ジャパン女子プロレス」に拾われたものの団体が崩壊し「JWP」で再スタートしました。団体対抗戦で活躍しスターになりますが、女子プロレス界が斜陽となりフリーとして活躍の場を求めます。ところが、タッグマッチで「ジャパン女子プロレス」時代からの盟友である「プラム麻理子」にライガー・ボムで勝利した後に、プラムが意識不明の重体となり翌日に亡くなってしまうと云う大事件が起こってしまいます。此れは色々な要因から起こった不幸な事故であり、尾崎に過失があったのではありませんが、精神的なショックは計り知れません。「尾崎は大丈夫なのか?」と心配しましたが、其の事故があった直後に弟子である「シュガー佐藤」が「尾崎の化身(いつもは純白だったのに、敢えて当時の尾崎と全く同じ赤いコスチューム姿!)として登場し、ライガー・ボムで勝利する」と云う衝撃的な試合もありました。対戦相手は、当然ですが命を落としたりはしなかった。あたくしは「もう、分かったから、尾崎!」と叫びたかったっ。でも、もう尾崎は後輩に託して引退するのか?とも思えました。
其れでも、尾崎は死んだプラムの為にもプロレスを続ける覚悟を決め、多くの後輩を育成する事となります。ちなみに、尾崎にプロレスを教えたのは「山本小鉄」です。そんでもって、「ジャパン女子プロレス」選手のリングネームを考えたのは「秋元康」だったと記憶しております。「国生さゆり」が尾崎のマネジャーになったのは、デビュー当時からの盟友だからです。そんな重すぎる過去を背負った尾崎が、2013年の現在でも実質的な「OZアカデミー」の首領として君臨しているのです。現在進行形のプロレスで、あたくしが最も面白いと思うのは「OZアカデミー」です。最後にプロレスを生観戦したのは、1998年の「JWP」後楽園ホール大会でした。前年に「尾崎が、プラムを殺してしまった!」と思えた事が、あたくしを「もうプロレスを生観戦したくない」と思わせる一因でもありました。猪木も引退したし、もういいじゃないか。でも、もういちどだけ、苦しみの中から立ち上がった尾崎を観たかった!とかなんとか云って、「日向あずみ」にサインしてもらってニヤニヤしちゃったんだけどさ。
♪あれから、15年♪、あたくしはプロレスを全く生観戦せず、テレビ桟敷で楽しむ様になっております。でも、「OZアカデミー」中継が面白いので、「そっか、横浜文体で9月にビッグマッチを開催するのね。大昔から馴染みの選手も沢山出るし、新人も育っているから、こりゃ15年ぶりにプロレスを観に出掛けようかしらん」と、かなり思いっ切り「行く気マンマン」になっておったのです。ところが、開催日を見たら「2013年9月15日(日)」じゃまいか。えっとですね・・・
「もう其の日は、片瀬那奈ちゃんが御出演されるライヴのチケットを買っちゃったわよ!」
御丁寧に、時刻も「16時から」と、完全なるバッティングです。渋谷と横浜に同時刻に行けるわけないじゃん!御本尊様、恐るべし!片瀬那奈ちゃんは、ファンの「僅かな浮気心」も、決して見逃しませんよっ。各々方、覚悟して挑んで下さいませ。
(小島藺子)