片瀬那奈ちゃんが鬼神の如く御活躍中なので、なかなか「枝葉ネタ」を書けません。プロレスに関しては、七月は「ワールドプロレスリング クラシックス」も恒例のジュニア特集だったので、特筆すべきモノもなかったのよさ。あたくしは「プロレスラーはデカイ!」ってのが大前提ですから、まあ、佐山とかトンデモな例外は居ますけど、自分と大して変わらない(「獣神サンダーライガー」は逢ったら、167センチしかないあたくしよりも背が低かった!)ジュニアには夢をもてません。飛んだり跳ねたりして、サーカスや器械体操じゃないざんしょ。昔、全日本女子プロレスに「チャパリータASARI(確か、北斗晶命名だったと思う)」と云う「公称・152センチメートル」の小さな選手がいて、「スカイツイスタープレス」なるトンデモな技(コーナーポスト最上段から、後方に270度、横に540〜720度、回転する伸身の飛び降り体落とし)で人気者でしたが、彼女は学生時代に体操部だったので開発したのでした。そりゃもう「スカイツイスタープレス」が初披露された時にも生観戦していたので、「一体、今の技は何だったのよさ?」と驚愕しましたが、ちっちゃくて軽い選手がどんなに高度に捻りを加えても、デカイ!ブル中野サマの「単に飛び降りて脚を相手の喉元に叩きつける」だけの「ギロチン・ドロップ」の前には、何の説得力も無いのです。ようやくジュニアの季節も終わり、ふたたび猪木が登場となりましたので、録画予約はバッチリです。
プロレスとは、人並外れてデカイ!異形の者が、信じられないスピードも合わせ持ちぶつかり合うのが醍醐味です。「太陽の天才児」とか「KENTA」とか、明らかにジュニアの選手がエースなんて、ちゃんちゃらおかしいのよさ。橋本真也はサッパリ練習なんかしなかったけど、単純にデカイ(デブとも云える)から見るからに強そうだったのです。そいつを完膚無きまでに叩き潰した小川直也は更にデカイ!ので、猪木もスカウトした理由を単純明快に「小川は、デカイ!からナァ、むふふふふ」と語っておりました。「スタン・ハンセン VS アンドレ・ザ・ジャイアント」の素晴らしさは、大技なんぞ使わずに、単にデカイ二人がぶつかり合うだけで満座を興奮の坩堝へと導いてしまった事なのよさ。ジャイアント馬場は「デカイ奴が正義だ!」と、生涯貫きました。「帝王・高山」が大ブレイクしたのは、本人の努力もありますが、馬場さんに「高山はデカイから、めんこいナァ」と優遇されたのがキッカケでしょう。第一次UWFが崩壊した時に、馬場さんは「前田と高田の二人だけなら、面倒みるよ」と云ったそうです。然し、永遠の少年である前田は「仲間と一緒じゃなきゃ、イヤなんや!」と断り、新日へ出戻りする道を選択しました。
そもそも「UWF」を創ったのは、猪木です。色んなゴタゴタがあったので、猪木は新たな団体を創り、先に自分が目を掛けていた連中を送り込んだのです。いたいけな前田は「猪木さんは、きっと来る!」と信じた。でも、猪木は来なかった。代わりに「藤原、木戸、佐山」と云った「猪木の懐刀」が参入しますが、タイガーマスクで人気者だった佐山は兎も角として、藤原や木戸は「単なる前座レスラー」でした。然し!佐山が中心となって所謂ひとつの「道場での練習」を公開した「第一次UWF」は、コアなファンに熱狂的な支持を得ます。格闘技ロード公式リーグ戦は、なな、なんと、木戸修が優勝!余談ですが、かつて生観戦していた頃に会場へ行くと野太い声で「キド!」と絶叫する通称「木戸おやじ」がいました。彼は女子プロレスの尾崎魔弓のファンでもあり「オザキー!」とコールする事でも有名でしたが、正体は漫画家の「バトルロイヤル風間」さんです。そー云えば、「研音チャリティーイベント」で最前列中央に、明らかに「OZアカデミー」の「加藤園子」選手としか見えない人が座っていたのだけど、誰かの親族なのかしらん。「旧U」では、佐山と藤原の究極の果し合い(何度も蹴り倒されてもゾンビの如く立ち上がる藤原に、佐山は勝った瞬間に解放されてため息をつくも、藤原は再戦を要求し佐山の腕を折ってしまいリング上で号泣!)等、現在でも語り継がれる壮絶な試合が行われました。方向性の違いで佐山と前田が決裂し、団体も崩壊。恥ずかしながら新日へ「カンバック・サーモン」となります。当然、エースは若き前田日明だったのだけど、まずは身内で戦わせて猪木への挑戦権を得ると云う屈辱的な扱いをされました。
でも、其の企画は「UWFとは何ぞや?」を明確にする、画期的な試みでした。明らかに「新日」とは違うキックと関節技を中心とした攻防は、実は元々は新日の道場で行われていたスパーリングだったのだけど、ゴールデン・タイムのテレビ桟敷で観ていたファンはビックリしちゃったのよさ。「こいつら、マジでやってんじゃねーの?ロープにも飛ばないし、ガチンコなんじゃねーの?」と幻想を抱きました。此の辺の猪木の嗅覚は、流石です。優勝したのは「猪木の影」とも云われた藤原喜明です。前田を優勝させなかったのは、ズバリ云って猪木が逃げたのでしょう。「あいつは、何をやるか分からん!」と、猪木は前田を信頼していなかった。そして、1986年2月6日、両国国技館のメインエベントで「アントニオ猪木 VS 藤原喜明」が実現しました。「プロレス者」には「真の実力者」と評価が高かったものの、藤原は「前座の鬼」であり「藤波×長州を札幌で潰したテロリスト」であり、UWFでの死闘も世間はよく分からなかった。ところが、猪木は自分を信じて守って来た藤原を、最高の舞台でスターにしやがりました。どんなに強くとも抜けなかった藤波や木村たちは、自分よりも前に出るのです。命懸けで守って来たアントニオ猪木と、両国大会のメインエベントで闘うのです。藤原は、心底、「プロレスラーになった好かった!」と思ったでしょう。猪木と藤原は其の後も何度か闘い、特に猪木のアップするのにカウントダウンでの最後の対戦では、お互いに正座して号泣する感動的な結末でした。然し乍ら、初対決が図抜けて素晴らしいと云えるでしょう。当時は「猪木は、Uを内包していた!」と絶賛されたものです。
UWF同士での潰し合いを見た観客は、もう藤原が「関節技の鬼」である事を認識していました。「ワルキューレの騎行」に乗せて、裸一貫でリングへ向う藤原。一体、誰が藤原が猪木の相手としてメインエベントに立つ晴れ舞台を夢想していたでしょうかしらん。もう四半世紀前の試合ですが、何度観ても緊張感が在ります。探りあいながら、いきなりだナァ、と猪木は鉄拳制裁(明らかに反則!)を藤原に見舞うと、藤原は得意の関節技を出します。思いっ切り「決まっている!」との危機的状況を何度も魅せ、観客の興奮を煽ります。挙句に、猪木はリング上で「分かったか?コツが。オレは二重関節だぞ。決めてみい!」と藤原にコーチすると云う、藤原にとって屈辱的な挑発までやらかします。でも、其れによって観客は如何に藤原の関節技がスゴイのかを実感したのです。本来なら地味な寝技の攻防で、コレほどの緊迫感を演出した猪木は天才ですよ。二階席最後方の観客にも伝わる様にと、猪木は敢えて大技も披露します。藤原が渾身の腕固めを決めて、完全に伸び切って猪木は負けるのか?と思われた時に、猪木は頭突きを出し、明らかな反則である金的蹴り(スローで観ると、下腹部には当たっていません)を藤原に炸裂!悶絶する藤原!でも、延髄斬りには意地でも倒れないし、すぐに蘇生するのはお約束です。
蘇った藤原は、遂に必殺の「一本足頭突き」を繰り出します。二発喰らってスッテンコロリンして悶絶した猪木ですが、三発目が来る時に、どー見ても明らかな反則としか思えないパンチ(スロー再生するとエルボーなので反則ではない)で藤原をぶっ倒すと、魔性のスリーパー(ズバリ云って、完全なる反則のクビ締めです)で藤原を落とし勝利します。すると、前田が飛び込んで来て、猪木の顔面にハイキックをぶちかますのだけど、冷静沈着な猪木は不測の事態でもジャンプしており、前田の蹴りは猪木の喉元に炸裂したのでした。リング上が大混乱になる中で、猪木が前田の蹴りを喰らったばかりなのにピンピンしていて諌めているのは兎も角として、裸締めで落とされたはずの藤原もスクッと立ち上がり前田たちの暴走を収めようとしているのは、「アレレのレ?もしかして、プロレスってアレなのかしらん?」なんぞと思ってもしまうのだけど、やっぱり名勝負ですナァ。主役は、問答無用で藤原喜明でした。猪木は其の後も前田の挑戦から逃げて「イレミネーション・マッチ」なんぞをやるのだけど、其の時も最後の相手に木戸修を選びスターにしました。一世一代の晴れ舞台で真摯に攻める木戸に、猪木は喉元に明らかに反則の突きを放ち粉砕したのです。
前田とだって、タッグながら緊迫した対戦を何度もやったじゃまいか。ま、何故かパートナーは藤原だったんだけどさ。ナンダカンダ云って、猪木と前田は仲良しです。猪木がスピンクスと無様な格闘技戦を演じた日に、前田はニールセンとの激闘を演じ「新格闘王」と賞賛されました。猪木が居たからこそ、前田は光ったのです。前田が長州の顔面を蹴った時に、猪木は「プロレス道にもとる」と解雇しました。正に「獅子は我が子を千尋の谷に突き落とす」如きな厳しい所業を行った猪木ですが、内心は「オレの後継者はアキラしかいない」と考えていたそうです。ずっと後には猪木は、なな、なんと、山崎一夫のハイキックでフォール負けすると云う破格の大サービスまでやらかしました。猪木が弟子にフォール負けするなんて、滅多に無い事です。高田がヒクソンに負けた時には「イチバン弱い奴を出しやがった」と云ったじゃん。ズバリ、本音でしょう。自分が若かったなら、いや、せめて前田ならと、忸怩たる思いだったのでしょう。小川を肉体改造したのは猪木&佐山だし、宮戸をIGFに参入させたりもしたではありませんか。UWFが旗揚げした当時に、猪木は長州と対戦し「アキレス腱固め」の攻防を披露していました。解説の山本小鉄はコーフンして「コレは、道場でやっているキメッコなんですよっ」と語っていました。あたくしは、かつて「藤原組」の興行にゲスト出演した猪木が愛弟子である藤原のリクエストに応え、孫弟子の石川と突発的にスパーリングを披露したのを目撃しましたが、猪木のグランドレスリングの素晴らしさはマジでした。藤原は「社長(猪木)はスーパースターなんだから、オレなんかが何百回挑戦したって、永遠に勝てない!社長は本当に強いんだ!」と語りました。猪木は、UWFを見捨ててなんかいなかったのだ。其れだけは、歴史的な事実として語っておかなければならないでしょう。ま、当の猪木は、な〜んにも考えてなかったのかもしれないけどさ。
(小島藺子)