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片瀬那奈ちゃんの追っかけブログなのに、枝葉の「プロレス・ネタ」で、どーもすいません。と、最早お約束の前振りをしておいて、親愛なる片瀬那奈ちゃんや片瀬那奈ちゃんファンにもおべんちゃらをかまして、思う存分に「プロレス・ネタ」を語りましょう。あたくしは、最強タッグ・チームと云ったら「ハンセン・ブロディ組」しか考えられません。文句無しに、強かった。でも「ハンセン・ブロディ組」と云われるのですから、其れはつまり「ハンセンの方がブロディよりも格が上」となるのです。例えば「BI 砲」である「馬場・猪木」然りですし、ジャンボ鶴田と天龍源一郎は「鶴龍」と呼ばれました。ドラマや映画のクレジットと同じく、前に記される方が上なのです。ちなみに、入場とコールは「後の方が格上」です。其れが原因で長州は藤波との抗争となりました。「ミラクルパワーコンビ(超獣コンビ)」と称された「ハンセン・ブロディ組」は、全日本プロレスで花開きました。元々、ハンセンもブロディも初来日は全日マットです。外国人レスラー招聘ルートは、圧倒的に馬場さんが優っていました。ジャイアント馬場はアメリカでも成功した大物レスラーでしたが、アントニオ猪木は(「アリ戦」以前は)日本でだけ知られている存在だったのです。
スカパー!の「日テレG+」で「プロレスクラシック」を放送していて、今月は貴重な「ハンセンやブロディの初来日時映像」が流されています。ブロディは、初来日から御馴染みのスタイルが確立されていて、なな、なんと、タッグマッチながら「ジャイアント馬場からフォールを奪う!」と云う破格の待遇でした。対して、ハンセンの初来日映像(1975年)はと云いますと、「アントン・ヘーシンクに逆エビ固めでギブアップ負け!」とか、「ザ・デストロイヤーに四の字固めでギブアップ負け!」などと、見るも無惨な負け役です。アマリロの「ファンク道場」で同期生だったジャンボ鶴田にも、シングル三戦全敗!しかも、ハンセンの風貌が皆さん御存知の其れとは全く違っています。若き日のスタン・ハンセンは、ブロンドの髪を肩まで長く伸ばし、髭も口元だけではなく顎にもボーボー状態なのだ。俄かにハンセンとは思えない程に、全くイメージが違います。大卒でプロフットボール球団を経て教職にも就いた「文武両道」ながら「負け役」を演じて帰国したハンセンは、ブルーノ・サンマルチノをアクシデントで病院送りにしてしまい、米国マットで干されてしまいます。ところが猪木は、不遇となったハンセンを「サンマルチノの首を折った男」として拾い上げます。
ハンセンがブレイクしたのは、1977年に新日本プロレスへ鞍替えしてからなのですが、馬場さんも「別に、ハンセンなら猪木に持ってかれてもかまわんよ」としか思っていなかったでしょう。事実、ハンセンは猪木との激闘を繰り返して大スターとなったわけで、移籍した当時には「馬力だけの不器用なレスラー(馬場さん談)」でした。そんな木偶の坊を、猪木は丹精込めて自分のライバルに育て上げたのです。ハンセンをブレイクさせたのは猪木である事実は、万人が認めるでしょう。猪木との数々の名勝負!アンドレとの超ど迫力な一騎打ち!何度も「ウエスタン・ラリアート」を喰らい続けた長州力が「リキ・ラリアット」を開発!等、大活躍!しかも、云わばヒールの外国人レスラーなのに絶大な人気を博したのです。ところが、人気絶頂となった1981年12月に、突如ハンセンは全日マットへ乱入します。内情は引き抜きで、新日にブッチャーを取られた報復でした。ハンセンとブロディは旧知の仲で若手時代にタッグも組んでおりましたから、晴れて「超獣コンビ」として再結成となります。
ブロディの初来日は、1979年とハンセンよりも随分と後で、当時は「未だ見ぬ強豪」として有名でした。実際に猪木も招聘に動き、1977年には「一番強い奴とやりたい。サンマルチノの首を折ったハンセンが一番強いかというと、あれは偶発的なものでハンセンの実力じゃないという声もある。どうもブルーザー・ブロディというのが一番骨があるらしい」と語っております。何気にガチ発言なのが、猪木らしいですね。後に念願の「運命の対決」となるのですけど、既に全盛期を過ぎた上に、もう出来上がっていたブロディとは名勝負を演じられなかった「落日の闘魂」が居ました。いや、猪木はブロディと「信頼関係」を築く事が出来なかった。結局は馬場さんに持って行かれたのだけど、前述の通り、最初から馬場さんは「自らフォール負けする」など破格の待遇(ブロディは初来日で馬場に反則負けした試合以外は全勝!)でした。其の後もジャンボ鶴田や天龍源一郎と名勝負を繰り広げ「全日の最強外国人レスラー」との地位を確立してゆきます。
ところが、出戻りのハンセンと組んだら明らかに自分が格下扱いの「ハンセン・ブロディ組」になってしまったのです。其の不満は、後に新日へ移籍と云う事に繋がりますが、ブロディとハンセンは親友だから、ブロディの移籍理由はズバリ云って「金」でしょう。兎も角、ブロディは初来日時からエリートでした。なのに何故、ハンセンが戻って来たら格下扱いされたのか?其れは、当時の「新日と全日の差」から生じたのでしょう。新間が「今はプロレス・ブームではなく、新日本プロレス・ブームなのです!」と豪語した程に、我が世の春を謳歌していました。そして、日本人は海外で評価を得てから満を持して初来日しエリート外国人として君臨したブロディよりも、最初は木偶の坊のグリーンボーイだったのに猪木と闘う事でメキメキと強くなっていったハンセンを圧倒的に支持したのです。正に、リアル「スポ根」ですからね。自らの経験を、ハンセンは四天王を育てる事で継承しました。もう、ハンセンは半分くらいは日本人ですよ。実際に奥さんは日本人で、日本にも家を建てちゃったんだからさ。ブロディも大好きだけど、やっぱり、二者択一なら、ハンセンだナァ。
(小島藺子)