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2013年06月27日

「あしたはどっちだ?」

あしたのジョー ソングファイル


片瀬那奈ちゃんの「奇跡の初舞台」である「僕たちの好きだった革命」の目次を「あしたの小野未来」と名付けた事でもお分かりでしょうけど、あたくしは「あしたのジョー」が大好きです。梶原一騎先生(「あしたのジョー」は同時期に「巨人の星」も連載していたので「高森朝雄」名義)の原作マンガには大きな影響を受けましたが、どれかひとつと問われたなら「あしたのジョー」と答えるしかありません。そして、御存知の通り「あしたのジョー」は「梶原一騎(高森朝雄)先生と、ちばてつや先生が、原作者と作画者を超えてガチで合作した作品」でもあり、虚構世界が現実を侵食(力石の葬儀が実際に行われたり、ハイジャック犯がジョーの名を語った、等)した「至上の名作マンガ」です。

CSの「ファミリー劇場」で、アニメと実写の「あしたのジョー」を放送し捲くっていて、一通り観たのですが、結論から申しますと「原作マンガには、どれも及ばない」となります。でも、其れじゃ記事になりませんね。現在放送中なのはアニメ版「あしたのジョー」劇場版(1980年)で、此れは1970年のテレビアニメ版を再編集した作品です。実写版は「石橋正次さん主演の1970年版」と「山P主演の2011年版」で、此の三作品は「力石の死」までを描いていて、基本的なストーリー構成は同じです。ゆえに、原作は別格として、此の三作品を比較してみましょう。まず、最新の「山P主演2011年版」は、思ったよりもずっとマトモで、普通に楽しめました。アニメ版は、リアルタイムでも観ていたから懐かしかったです。アニメ版なら「あしたのジョー2」もありますが、「力石の死」以後のストーリーなので比較対象外です。

問題は「石橋正次さん主演の実写1970年版」で、あたくしは公開当時から「少年マガジン」誌上で其の存在を知ってはいたものの、四十年以上経って初めて観ました。そして、コレが物凄かったのだ。申し訳ありませんが、コレを観ちゃったら「山P主演2011年版」など「ちゃんちゃらおかしい」としか云えません。1970年当時だからこその風景が映像に刻み込まれていて、リアルタイムならではの空気感が素晴らしい。「山P主演2011年版」は「石橋主演1970年版」の「イヤミがシェー!ざんす」なパチモンと断じるしかありません。スカパー!ですので「オリジナルを尊重して放送」なわけで、石橋正次さん演じる矢吹丈は丹下段平を「メッカチの拳闘キチガイじじい」なんぞと平気で何度も云うのです。もう、其れだけで「ラベルが違い過ぎる」のだ。

確かに、山Pと伊勢谷友介さんの肉体改造した役作りは立派だとは思いますけど、石橋正次さんと亀石征一郎さんの「ギラギラした迫力」には遠く及ばない。そんでもって、香川照之さんは幾ら熱狂的なボクシング愛好家だからって「やり過ぎ」だし、山Pはボソボソと何をしゃべっているのか聞き取れません。白木葉子は、片瀬那奈ちゃんに演じて欲しかったナァ。いえ、ホント、「山P主演2011年版」も思っていたよりもずっと好かったんですよ。でも「石橋主演1970年版」が凄すぎだったし、アニメもリアルタイムの再編集だから「あしたのジョー」の時代が鮮やかに刻まれているのです。やっぱり「ジョーの声は、あおい輝彦さん」で「丹下段平は藤岡重慶さん」だよナァ。

コレは、もう、どうしようもないのだよ。実写作品としてのテクニックならば、「1970年作品」よりも圧倒的に「2011年作品」が優れています。でも、どんなに頑張ったって「アノ時代」を再現する事は不可能です。とかなんとか云っても、アニメも実写も「原作の足元にも及ばない」のだけどね。原作では、特に「力石が死んだ後に、ジョーが草拳闘に堕ちてゆくトコ」が好きです。ジョーのライバルはみんな魅力的で、最後のホセ・メンドーサ戦で過去の名勝負が走馬灯の様に蘇るトコなんて、素晴らしすぎますね。主役は落ちぶれても再起し激闘を繰り返し燃え尽きて、脇役のデブがチャッカリと美人と結婚するってのが、正に「カジワライズム」なのだ。三上寛さんは「何故、葉子を抱きしめなかったんだ!」と絶唱しましたが、ジョーが(顔がそっくりなのに)紀子ではなく葉子を深く愛していた気持ちは、グローブを渡す場面だけで痛い程に分かる。「あしたのジョー」は、あたくしなんぞが喚くまでもない、至上の名作です。其れを無謀にもアニメや実写にした勇気を、素直に讃えましょう。


(小島藺子)



posted by 栗 at 02:46| KINASAI | 更新情報をチェックする