「此の年のテレビ出演録は、正確な日時を調査中です」
【関連 INDEX】
「1998年9月のゼンキロ」
「1998年10月のゼンキロ」
「1998年11月のゼンキロ」
「1998年12月のゼンキロ」
「片瀬那奈ちゃんバラエティ出演録」#01(1998〜2002)
「ヤングサンデー」INDEX 完全版
1998年にスカウトされた当時16歳の少女は、自ら命名した「片瀬那奈」として鮮烈なデビューを飾りました。当初は本名でモデル活動を僅かな期間行ったのですが、旭化成工業「'99 水着キャンペーン・ガール」オーディションに合格したのをキッカケに「片瀬那奈」になりました。お披露目となったのは、1998年10月5日の「'99 旭化成キャンペーンガール発表会」です。ところが!「女優・松嶋奈々子らを輩出した「旭化成」の水着キャンペーンガール。99年度、24代目のギャルに、東京在住の高校2年生、片瀬那奈=かたせ・なな(16)に決まり5日、都内でお披露目された。1メートル72の長身に、スラリと伸びた脚。おまけに上から86・59・87と高校生とは思えない完成されたプロポーションの片瀬は、舞台では約20回も水着を着替え、堂々と笑顔をふりまいていた。だが、終盤でうっかりブラジャーのひもが外れるハプニングも。胸を必死にガードして退場したあと、「緊張したぁ」とまだあどけない素顔を見せていた。「モデル、タレント、女優と幅広く挑戦したい」という。」と「サンスポ」で報道された様に思わぬハプニングに見舞われます。
其れで、翌日(10/6)にはワイドショーで取り上げられ、天下の「東スポ」は三段ぶち抜きカラーで掲載!其の週に発売された「FRIDAY」も「16歳キャンギャルのビキニがほどけた!!」と書き立てやがったのです。片瀬那奈ちゃんの初テレビ出演は、お披露目イベントでのハプニングを伝えるワイド・ショーとなってしまいました。でもですね、間違いなく「片瀬那奈」の名前はスムーズにお披露目を行えた場合とは比較にならない程に世間に広まったのです。此の時の映像は、2013年4月6日の「メレンゲの気持ち」で片瀬那奈ちゃん御本人の意志で「まさかの蔵出し」がなされました。其の後、多くの雑誌で大きく取り上げられますが、当時から片瀬那奈ちゃんも面白おかしくハプニングを語っておりました。
余りにも絶妙なプロモーションとなったので「やらせ疑惑」も起こりましたが、「アンナ表情が出来たなら、あたしは16歳の天才女優ですよ」と片瀬那奈ちゃんが証言された通り、ガチでした。1998年には「トゥナイト2」の「1999年度水着キャンペーンガール特集」にもビキニ姿で御出演されましたが、日時は不明です。「1999年度水着キャンペーンガール」は、片瀬那奈ちゃんの他に「井川遥さん(東洋紡)、菊川怜さん(東レ)、滝沢沙織さん(ユニチカ)」等を輩出した「奇跡の年」と云われています。多くの水着ショーやグラビアでも共演し、ラジオ番組「VENUS ISLAND」も日替わりで担当した「戦友」です。「旭化成 '99 水着キャンペーン・ガール」のCMも存在します。
さて、片瀬那奈ちゃんが「片瀬那奈」になったのは「1998年9月1日」からなのですが、前述の通り其れ以前に本名で活動した時期も数ヶ月ありました。何れにしろ、アルタ前でスカウトされたのが「1998年」なので、片瀬那奈ちゃんは16歳で世に出たのが定説となりました。ところが、片瀬那奈ちゃん御自身から「実は、もっともっと前にテレビに出ました」発言が飛び出したのです。其れは、NHKの「お母さんといっしょ」で三歳の時なので、おそらく「1985年」でしょう。助演女優賞を獲得された「美月うらら姫」には、余りにも長い物語が内包されていました。片瀬那奈ちゃんのテレビ出演録も遂にデビューの時まで遡りましたが、「1998年〜2004年」の記録には不備があります。抜けている番組を御存知の同志諸君には、今後とも、何卒御指導御鞭撻の程、宜しくお願い致します。
(姫川未亜/小島藺子)