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2012年11月11日

BOOT-024:HOW DO YOU DO IT

ハウ・ドゥ・ユー・ライク・イット・プラス(紙ジャケット仕様) The Best of Gerry_and_the_pacemakers_how_do_you_do_it.jpg


 w & m:Mitch Murray

 録音:1962年9月4日

 1995年11月20日発売 (「ANTHOLOGY 1」 disc1-23) アップル

 (ジェリー&ザ・ペースメイカーズ盤:1963年3月14日発売 Columbia DB4987)


1962年10月5日に、ビートルズはいよいよメジャー・デビューします。デビュー・シングル用のレコーディングは1962年9月4日と11日に行われ、「LOVE ME DO」「P.S. I LOVE YOU」「PLEASE PLEASE ME」、そして此の「HOW DO YOU DO IT」を演奏しています。具体的には、「HOW DO YOU DO IT」と「LOVE ME DO」と「P.S. I LOVE YOU」をリンゴ・スターのドラムで9月4日に録音し、出来栄えが好くないとの理由で9月11日にドラムをセッション・ドラマーのアンディ・ホワイトに代えて「LOVE ME DO」と「P.S. I LOVE YOU」を録音し直し、「PLEASE PLEASE ME」もやらかしていました。

ビートルズのドラマーがピート・ベストからリンゴ・スターに代わったのは1962年8月で、有名な1962年8月22日にグラナダTV用に撮影されたキャバーン・クラブでの「SOME OTHER GUY」のライヴ映像では、リンゴがドラムを叩いています。ところが、ピートのドラムが下手だと追い出しリンゴを加入させたのに、いざデビュー曲の録音となったらダメ出ししてしまうのだ。確かに「棚からぼた餅」状態でビートルズに新加入したリンゴではありますが、「ジョン、ポール、ジョージ」とは前述の通り1960年からの旧知の仲でした。決して新参者ではなく、そもそもビートルズが望んで迎え入れたのです。其れなのに、いきなりだナァとセッション・ドラマーに交代させられたのですから、リンゴの屈辱感は相当なものだったでしょう。

ジョージ・マーティンはデビュー曲として職業作家であるミッチ・マレーが書いた「HOW DO YOU DO IT」を推し、レコーディングさせました。ジョン・レノンが歌っていますが、ビートルズは「オリジナルでデビューしたい!」と決めておりわざとテキトーに流して演奏したので、マーティンも呆れ返りボツとします。でも、好い曲だから勿体ないとばかりに、ジェリー&ザ・ペースメイカーズのデビュー曲へまわしてプロデュースし、見事に全英首位の大ヒット曲とします。ジェリー&ザ・ペースメイカーズは、つづく第二作「I LIKE IT」も第三作で現在ではサッカーで有名な「YOU'LL NEVER WALK ALONE」も全英首位となりますが、プロデュースはジョージ・マーティンです。「YOU'LL NEVER WALK ALONE」はマーティンがマージー・ビートの楽曲にオーケストラを導入した最初の楽曲とも云われています。つまり「YESTERDAY」(「あたし、好きだな」片瀬那奈ちゃん)の雛型と云えるのだ。

ジェリー&ザ・ペースメイカーズのデビューから三曲連続首位!の1963年の快進撃は、正にビートルズの好敵手と云うべきですが、マネジャーはブライアン・エプスタインで、プロデュースはジョージ・マーティン、そしてデビュー曲「HOW DO YOU DO IT ?」(こちらは「?」が付いています。邦題は「恋のテクニック」!)はビートルズのお下がり、と丸っきり「ビートルズの亜流」みたいな扱いでした。エプスタインとマーティンは、当初はビートルズにジェリー&ザ・ペースメイカーズの様な路線を望んでいたのでしょう。ビートルズが拒否した「職業作家作品や古いミュージカルのカヴァー」などの楽曲をバンドで演奏させるのは「旧時代の手法」です。確かに、最初は売れました。然し、ビートルズがオリジナル路線でドドンガドン!と成長してゆくにつれて、ジェリー&ザ・ペースメイカーズは完全に置いてけぼりとなりセールスが落ち続け、1966年には解散します。あたくしはマヌケなジャケットも含めて「明るくって好きなバンド」ですけど、「恋のテクニック」を蹴ったビートルズの選択は間違っていなかったわけです。


(小島藺子)



posted by 栗 at 00:07| FAB4 | 更新情報をチェックする