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2012年10月26日

BOOT-008:MY BONNIE

My Bonnie Beatles Bop-Hamburg Days


 w & m:Traditional, arranged by Tony Sheridan

 録音:1961年6月22日、23日
 初出:1961年10月23日 シングル発売 ポリドール(西ドイツ) NH24673

 1995年11月20日発売 (「ANTHOLOGY 1」 disc1-10) アップル


クオリーメンは1960年8月にドラマーのピート・ベストを加え、五人組となりました。そして、グループ名も「ジョニー&ザ・ムーンドッグス」や「ロング・ジョン&シルヴァー・ビートルズ」や「シルヴァー・ビートルズ」を経て「ザ・ビートルズ」となります。彼らは、ドイツのハンブルグに何度も長期遠征してライヴを行っていたそうです。ところが、1960年8月の初遠征でスチュワート・サトクリフは、当時クラウス・フォアマンの恋人だったアストリット・キルヒヘアと、有ろう事かクラウスのお膳立てで「運命的な出逢い」をしてしまうのです。スチュは1961年4月にビートルズを脱退し、本分である画家としての道を選択しますが、1962年4月10日に21歳の若さで亡くなってしまいます。一方、ふられたクラウスは、潔く身を引くも友情関係を続け、絵もやめなかったけれど、スチュからベースを買い取り有名なベーシストにもなります。画家としては、ビートルズのアルバム「REVOLVER」のジャケットなどを手掛けましたし、ベーシストとしての活躍も詳しく語るまでもないでしょう。ジョン・レノンが「ジョンの魂」を録音する時に「ドラムはリンゴ、ベースはクラウス、他は誰もいらない」と語り其の通りに行った事実だけで充分です。ちなみに、あたくしが最も好きなクラウスのベースは、ジョージ・ハリスンの「GIVE ME LOVE」でのプレイです。

おっと、枕が長くなっちゃったナ。ビートルズがハンブルグで出逢ったのは、クラウスとアストリットだけではなかったのです。ドイツではわりと有名な歌手のトニー・シェリダンがビートルズと共演したステージに興味を持ったベルト・ケンプフェルトが、トニー・シェリダンのバック・バンドとしてビートルズを雇い正式なレコーディングが行われました。ビートルズは9曲をレコーディングしましたが、7曲はトニー・シェリダンのバックを務めているだけです。他の2曲が何故かビートルズのみの演奏で「ANTHOLOGY 1」にも収録されていますが、ビートルズが単なるバックを務めトニー・シェリダンが歌う此の「MY BONNIE」も収められているのです。其の理由を今更クドクドと語る気はありません。簡潔に述べますと、1961年10月28日にブライアン・エプスタインが店主をしていたリヴァプールのレコード店にやって来たレイモンド・ジョーンズなる青年が「ビートルズのマイ・ボニーってレコードはありませんか?」と訊き、エプスタインは「無いけど、調べて必ず取り寄せますよ」と応えたって噺です。其れを「脚色された」なんてヤボな事を云っちゃいけません。レイモンド・ジョーンズが実在しようがしまいが、そんなこたぁ大した事じゃないのよさ。重要なのは、ブライアン・エプスタインが「MY BONNIE」でビートルズに興味を持ち、安定した家業を捨ててまで「彼らのマネジャー」になっちゃったという「歴史的な事実」です。


(小島藺子)



posted by 栗 at 00:07| FAB4 | 更新情報をチェックする