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2012年09月17日

FAB4-205:TWO OF US

Let It Be I Am Sam


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン('69-1/24、25、31、3/10、11)、フィル・スペクター('70-3/25)
 E:グリン・ジョンズ('69-1/24、25、31、3/10、11)、ピーター・ミュー('69-4/25)、
   ピーター・ボーン('70-3/25)
 2E:ニール・リッチモンド('69-1/24)、アラン・パーソンズ('69-1/25、31)、
    クリス・ブレア('69-4/25)、ロジャー・フェリス('70-3/25)
 録音:1969年1月24日(アルバム「GET BACK」に収録)、
    1月25日、
    1月31日(「On Our Way Home」take 10-12、アルバム「LET IT BE」に収録)
 MONO MIX:1969年4月25日(take 12 よりアセテート盤用のラフ・ミックス)
 STEREO MIX:1969年3月10日、3月11日、1970年3月25日(take 12 より 1-2)
 
 1970年5月8日 アルバム発売 (「LET IT BE」 A-1)
 アップル(パーロフォン) PCS 7066(ステレオ)


ポール・マッカートニーが書いた楽曲で、ポールは当時アップルに所属していたモーティマーと云うグループをプロデュースし彼らのデビュー曲として提供するつもりでした。1969年4月25日にモノ・ミックスが行われアセテート盤が作られたのは、ニューヨークに居るモーティマーの三人に聴かせるためだったのですが、結局その企画は頓挫します。1969年1月の「THE GET BACK SESSIONS」でリハーサルから取り上げられ、当初はエレクトリック・アレンジでアップテンポでした。一本のマイクでポール・マッカートニーとジョン・レノンが楽しそうにハモる光景は、映画「LET IT BE」で観れます。然し、ジョージ・ハリスンが歌メロをギターで弾いた事に憤慨したポールがダメ出しをして、有名な二人の口論に発展するのです。「余計なフレーズを弾かずに、大人しくしてろ!」と云うポールに、ジョージは「分かったよ、キミの云う通りに弾くし、弾くなと云うなら何もしない!」とブチキレて、脱退してしまいます。

そんな経緯があったからか、ジョージが戻ってからの正式レコーディングではアレンジを一新し、アコースティックな楽曲に変貌しました。ポールとジョンがアコースティック・ギターを弾いてデュエットし、ジョージはギターでベース音を担当、リンゴはいつものドラムスです。幻のアルバムとなった「GET BACK」には、1969年1月24日のテイクが収録予定でしたが、映画には1969年1月31日のテイクが使われます。それで、フィル・スペクターも1月31日のテイクを採用し、アルバム「LET IT BE」の冒頭を飾るのでした。スペクターは曲の初めにジョンの「”I Dig a Pygmy" by Charles Hawtrey and a Deaf Aids. Phase one in which Doris gets her oats.」と云うセリフを加えたものの、此の曲に関しては過剰なオーヴァーダビングは全く行っておりません。1969年1月31日のテイク(其れは、前述の通りビートルズの四人による生演奏)を尊重し、其れを如何に磨き上げるか?と云う丁寧なミックスを試み成功したのです。

此の一曲目を聴いた時点で、ジョンやジョージは「やっぱり、スペクターに任せて好かった」と思ったでしょう。作者であるポールだって、本音は「やられた!こりゃいいぞ」と思ったに違いないのだ。でも、ハブにされたから「何だよこりゃ?酷すぎる!」と突っぱねるしかなかったのでしょう。此の曲から始まるアルバム「LET IT BE」は、発売順ではビートルズのラスト・アルバムですが、録音素材のほとんどは1969年1月の「THE GET BACK SESSIONS」を元にしております。ゆえに、実質的なラスト・アルバムは其の後に録音された「ABBEY ROAD」と云われるのです。但し、後述しますがビートルズのラスト・レコーディングはアルバム「LET IT BE」用に行われてもいるのです。この辺が複雑怪奇なのだけど、簡単に云えば「THE GET BACK SESSIONS」と「ABBEY ROAD SESSIONS」は繋がっていて、其れは僅か八ヶ月の間に起こったわけですよ。

さて、此の「TWO OF US」と云う愛らしい楽曲は、ポールによれば「リンダとボクの事を歌った」らしいです。然し、其れは嘘でしょう。此の曲でポールが歌うのは「ジョンとポールの二人」以外に考えられません。「You and I have memories longer than the road that stretches out ahead.」と情感たっぷりに歌うほどの思い出は、此の曲が書かれ歌われた時には未だリンダとの間にはなかったはずです。だって、まだ結婚してもいなかったし、出逢って半年くらいじゃん。だからこそ、ポールは此の曲をどうしてもジョンと一緒に歌わなければならなかったのです。「THE GET BACK SESSIONS」は、ポールがバラバラになったビートルズの結束を取り戻すために提唱したと云われます。でも、其れもウソなのだ。ポールが望んだのは、ふたたびジョンとガッチリとタッグを組む事でした。映画「LET IT BE」で、ポールは真顔でジョンにこう云います。

「キミと一緒だったら、ボクはいくらだって演奏するよ!」

其れを聞いたジョンは「キモッ」とマジで思ったそうです。嗚呼、哀れなりポール・マッカートニー。


(小島藺子)



posted by 栗 at 00:07| FAB4 | 更新情報をチェックする