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2012年09月15日

FAB4-203:LET IT BE

レット・イット・ビー This Girl's in Love With You Letitbe_single.jpg


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン('69-1/31、3/10、12、5/28、'70-1/4)、クリス・トーマス('69-4/30)、
   フィル・スペクター('70-3/26)
 E:グリン・ジョンズ('69-1/31、3/10、12、5/28)、ジェフ・ジャラット('69-4/30)、
   フィル・マクドナルド('70-1/4)、ピーター・ボーン('70-3/26)
 2E:アラン・パーソンズ('69-1/31)、ニック・ウェブ('69-4/30)、スティーヴ・ヴォーン('69-5/28)、
    リチャード・ランガム('70-1/4)、ロジャー・フェリス('70-3/26)
 録音:1969年1月31日(take 20-27)、
    4月30日(take 27 に SI 「リード・ギター」)、
    1970年1月4日(take 27 に SI 「コーラス」、編集し SI 「ブラス」し、take 28-30、
    take 30 に SI 「リード・ギター、ドラムス、マラカス、チェロ」)
 STEREO MIX:1969年3月10日、3月12日、5月28日(take 27 より)、1970年1月4日(take 30 より 1-2)、
         3月26日(take 30 より 1-4)

 1970年3月6日 シングル発売(最高位:英国2位、米国1位)
 アップル(パーロフォン) R 5833(ステレオ)
 
 1970年5月8日 アルバム発売 (「LET IT BE」 A-6)
 アップル(パーロフォン) PCS 7066(ステレオ)


ポール・マッカートニーが書いた大傑作!ズバリ云って、あたくしがビートルズで最も好きな曲です。「はあ?レット・イット・ビーが最高って、お前は俄かファンかよ」と云われそうですが、本当なのですから仕方ないのだ。何せ、あたくしはポールのライヴに三回行ったけど、一度も此の曲だけはあまりにも感動してしまい、一緒に歌えなかったのです。正に「天国から奏でられた音楽」でした。ポールは現在でもライヴの定番曲にしておりますが、わりと近年、確かもう21世紀になってから「LET IT BE」を歌っていたら、客席で父娘が肩を抱き合って泣いていたのだそうです。其れを見たポールは「あれれ?ボクってみんなを感動させる仕事をしちゃってるのかしらん」と初めて気付いたのだよ。アノですね、サー・ポールは如何に自分がスゴイのかを、根本的に全く理解していないぞ!

アルバム「ABBEY ROAD」で終わったはずのビートルズでしたが、彼らには1969年1月の「THE GET BACK SESSIONS」と云う膨大な未発表録音がありました。1969年4月にシングル「GET BACK / DON'T LET ME DOWN」が発売され、アルバム「GET BACK」が1969年5月にグリン・ジョンズによってまとめられます。然し、ビートルズは其れを却下し、「ABBEY ROAD」を制作し1969年9月に発売してしまいます。前述の通り、ジョン・レノンは「脱退宣言」をぶちかまし、事実上ビートルズは終わってしまいました。でもですね、映画も撮影しちゃったし、アラン・クラインは「GET BACK」の視聴盤をアメリカで配っちゃったし、もう何としてでも「GET BACK」を出さなきゃ収まりがつかなくなってしまいます。それで、グリン・ジョンズが1970年1月に改訂版「GET BACK」を完成させますが、またしてもビートルズは発売を認めません。特に、ジョン・レノンが「グリン・ジョンズがプロデューサーとして名前を載せて欲しいと主張した事」に難色を示したとも云われます。ジョンには「金よりも名を取る」と云うグリン・ジョンズの考え方が、理解不能だったらしいです。

そんなこんなで、ようやくシングル「LET IT BE」がジョージ・マーティンのプロデュースで1970年3月に発売されます。元になったのは、1969年1月31日に録音された「take 27」で、ポール・マッカートニー(歌、ピアノ)、ジョン・レノン(六弦ベース、コーラス)、ジョージ・ハリスン(ギター、コーラス)、リンゴ・スター(ドラムス)、ビリー・プレストン(ハモンド・オルガン)によるライヴです。映画で観れるのも「take 27」ですが、実は「take 27」は二度続けて演奏されており、レコードの元になったのは最初のテイクで、映画に使われたのは二度目のテイクです。1969年4月30日にジョージ・ハリスンのリード・ギターをオーヴァー・ダビング(此の時点で、既に「GET BACK」のコンセプトから外れてしまっている)し、さらに1970年1月4日にブラスやコーラス(リンダ・マッカートニーも参加)などをオーヴァー・ダビングし捲くったミックスで完成しました。ジョージ・ハリスンのリード・ギターも再度録音されましたが、シングルには1969年4月30日の方が使われました。1970年1月4日のレコーディングには、ポール、ジョージ、リンゴの三人が参加し(ジョンは休暇中でデンマークにいて不参加)、ビートルズがバンドとして行った最後の日となりました。

さてさて、1970年3月23日からフィル・スペクターにアルバムは委ねられます。其れで、アルバム「LET IT BE」には別のヴァージョンが収録されるのです。然し、元となったのはシングルと同じ「take 27」です。スペクターは編集で、最後のリフを追加し、リンゴのハイハットにディレイをかけ、ジョージのリード・ギターは1970年1月4日のテイクを大フューチャーし(間奏後もずっと前面に出ている)、ポールのヴォーカルにもエコーをかけ、ブラスの音も大きくするなど、正しく「音の壁」と云われた独自の手法でミックスしました。シングルはマーティンがポールの意向に沿ってプロデュースしており、対してアルバムはポールには無断でジョンとジョージがスペクターに依頼しリンゴも従ったわけで、全く同じ素材なのにこんなにも違った印象になってしまったのです。但し、注目したいのは、ポールが望んだマーティンによるシングル・ヴァージョンでもブラスやコーラスなど多くのオーヴァー・ダビングがされている事実です。ポールも「原点回帰」と云う初期コンセプトなんか、もうどーだってよくなっていたのですよ。

フィル・スペクターがジョージ・ハリスンのリード・ギターを目立たせたのは、明らかな贔屓でしょう。ジョージは熱心にスペクターのミックス現場を見学し、其の手腕を高く評価し、1970年11月に発表される三枚組の傑作アルバム「ALL THINGS MUST PASS」のプロデュースを任せます。ジョン・レノンもフィル・スペクターの仕事に大いに納得し、「ジョンの魂(1970年)」や「イマジン(1971年)」などの傑作アルバムでガッツリとタッグを組むのです。過去の輝かしい栄光や、ジョンやジョージのソロで見せた腕前は、流石は天下のフィル・スペクター!と思えますし、アルバム「LET IT BE」も「よくぞ、ここまで聴ける様にしたもんだ」と評価されていいでしょう。然し、ハブにされたポール・マッカートニーは当然乍ら面白くなかった。ポールがアルバムを酷評したのは、アレンジが勝手に改変されたとか云うよりも「ボクをハブにしやがって!」との子供じみた怨念としか思えません。挙句に四半世紀近く経って「LET IT BE...NAKED」なんてもんまで出しやがったんだから、ポールは相当に執念深いですね。

ところで、此の「LET IT BE」と云う大傑作は、なな、なんと、レコードになった1969年1月31日に9テイク(take 20〜take 27、前述の通り take 27 は二回続けて演奏)を録音中にようやく歌詞が出来ました。「アンソロジー3」で聴ける1969年1月25日のテイクでは、まだ三番がありません。更に、映画に使われた「take 27」の二回目ヴァージョンでは「There will be no sorrow」と云うフレーズが加わっています。よーするに、ポールはビートルズとしてはたったの一回しか完成版の歌詞を歌っていないのだ。何じゃ、そりゃ。そんでもって、あたくしが最初に入手したビートルズのシングル盤は当然「LET IT BE」の日本盤ですが、其れは「ステレオ」と書いてあったのに「モノラル」だったのだ。モノラル・ミックスなんて行われていないから、「ステレオをモノラルにしただけ」のインチキ・ミックスだったのだ。おいおい、またしても「盤落とし」だったんじゃねーだろーな。青盤を聴いて、シングル・ヴァージョンが普通にステレオだったからひっくり返ったぞ。「LET IT BE」は日本で一番売れたビートルズのシングルで、138万枚も売れたってゆーじゃまいか。其れがインチキ・ミックスって、酷すぎるぞ。


(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 00:07| FAB4 | 更新情報をチェックする