w & m:LENNON / McCARTNEY
P:ジョージ・マーティン('68-2/4、8、'69-10/2)、グリン・ジョンズ('70-1/5)、
フィル・スペクター('70-3/23、4/1、2)
E:ケン・スコット('68-2/4、8)、マーティン・ベンジ('68-2/4)、ジェフ・エマリック('68-2/8)、
ジェフ・ジャラット('69-10/2)、ピーター・ボーン('70-3/23、4/1、2)
2E:リチャード・ラッシュ('68-2/4、8、'70-4/1)、フィル・マクドナルド('68-2/4)、
アラン・パーソンズ('69-10/2)、ロジャー・フェリス('70-3/23、4/2)
録音:1968年2月4日(take 1-7、take 7 に SI 「歌、コーラス」、
編集した take 8 に SI 「ベース、ドラムス(後に消去)」、未使用「効果音」)、
2月8日(take 8 に SI 「歌、コーラス、ギター、マラカス、ピアノ」)、
1970年4月1日(take 8 を編集した take 9 に SI 「ドラムス、オーケストラ、コーラス」)
MONO MIX:1968年2月8日(take 8 より 1-2)
STEREO MIX:1969年10月2日(take 8 より 1)、1970年1月5日(take 8 より 1)、
3月23日(take 8 より 1-8)、4月2日(take 9 より 10-13)
初出:1969年12月12日 (「No One's Gonna Change Our World」 A-1)
リーガル(ゾノフォン)スターライン SRS 5013(ステレオ)
1970年5月8日 アルバム発売 (「LET IT BE」 A-3)
アップル(パーロフォン) PCS 7066(ステレオ)
ジョン・レノンが書いた傑作で、録音は1968年2月に行われました。シングル盤用に用意された楽曲で他のメムバーやスタッフの評判も非常に良かったものの、ジョン本人がレコーディングの出来に納得せず、結局シングルにはポール・マッカートニー作「LADY MADONNA」とジョージ・ハリスン作「THE INNER LIGHT」が選ばれました。前述の通り、「LADY MADONNA」のプロモーション・フィルムを撮影時には、ジョン作の「HEY BULLDOG」が録音されますが、そちらも1969年1月発売のサントラ盤「YELLOW SUBMARINE」へ回されます。「ACROSS THE UNIVERSE」は、映画「YELLOW SUBMARINE」用の未発表曲を中心にしたEP盤を出す企画でもラインナップに浮上しますが、企画自体がボツになってしまいました。ナンダカンダあって、録音されてから発表されるまで二年も経過してしまいます。
1969年1月の「THE GET BACK SESSIONS」で再びリハーサルで取り上げられ、其の演奏シーンは映画「LET IT BE」で観る事が出来ます。然し、正式なレコーディングは行われませんでした。1969年9月20日に、アップルの会議でジョン・レノンは「ビートルズと離婚する」と脱退宣言をします。アルバム「ABBEY ROAD」発売直前の事で其れは極秘とされますが、以後ジョン・レノンはビートルズ名義でのレコーディングには参加しておりません。ジョンは、自分で創ったバンドを自分で破壊しました。ポール・マッカートニーはショックのあまりスコットランドの農場に引き篭り、其れが「ポール死亡説」の信憑性を高める事となります。でもですね、ポールはチャッカリと宅録でソロ・アルバム「McCARTNEY」を作っていやがったのだ。兎も角、ビートルズは「ABBEY ROAD」を完成した時点で終わっていたのです。
然し、「ACROSS THE UNIVERSE」を「世界自然保護基金」のチャリティ・アルバム「No One's Gonna Change Our World」(此のタイトル自体が「ACROSS THE UNIVERSE」の歌詞に由来している)に収録する企画が進行していました。「ACROSS THE UNIVERSE」のレコーディングは、1968年2月4日と8日にビートルズの四人で行われ、ポールの提案でスタジオのまわりに集まっていたファンの中から女の子二人(リジー・ブラヴォーとゲイリーン・ピース)をポールが選びコーラスで加わりました。ビートルズの楽曲にファンの女の子が参加したなんて事は、此の曲だけです。1969年10月2日にジョージ・マーティンは其のレコーディングを引っ張り出し、テープ・スピードを早くした上に、「世界自然保護基金」用に合わせて勝手に「鳥のさえずりや羽ばたき音」を加えたミックスを制作し、其れが「No One's Gonna Change Our World」A面一曲目に収録され1969年12月12日に発売されました。此のミックスに関しては、ビートルズは関知しておりません。何せ、もう解散状態だったのですよ。尚、2009年の「MONO MASTERS」に初収録された「バード・ヴァージョン」のモノラルは、ステレオよりも遅くジョンの肉声に近くなっています。
チャリティー・アルバムは英国のみの発売で、すぐに廃盤になってしまいます。ゆえに、現在では「PAST MASTERS」で容易に聴ける所謂ひとつの「バード・ヴァージョン」も、かつては入手困難な「お宝音源」でした。さて、映画「LET IT BE」の企画も進行しており、グリン・ジョンズは幻のアルバムとなった「GET BACK」の改訂版で映画に演奏シーンがある「ACROSS THE UNIVERSE」をラインナップに加えます。テープ・スピードを元に戻し、コーラスなどを消して恰もライヴ音源の様にミックスしますが、元は同じテイクであり、未発表となります。そして、フィル・スペクターが登場します。「THE GET BACK SESSIONS」をジョン・レノンとジョージ・ハリスンに託されたスペクターは、大胆なアレンジを施してアルバム「LET IT BE」を完成させました。然し、「ACROSS THE UNIVERSE」はビートルズが1968年2月にレコーディングしたっきりだったので、「バード・ヴァージョン」と同じマスター・テイク(take 8)を元にしているのです。
フィル・スペクターは、ジョージ・マーティンとは逆にテープ・スピードを遅くし、ファンの女の子やビートルズのコーラスも消してジョンの歌だけにし、大仰なオーケストラと女性合唱団をオーヴァー・ダビングしました。ちなみに1970年4月1日に行われた其のレコーディングには、リンゴ・スターのみが参加しドラムスを叩いています。印象が大きく異なる二つのヴァージョンですが、元になったのは全く同じテイク(take 8)です。後に「アンソロジー2(1996年)」に別テイク(take 2)が、「LET IT BE...NAKED(2003年)」にはマスター・テイク(take 8)からコーラスなどを除きテープ・スピードを元に戻したリミックスが収録されました。でも、結局はジョン自身が望んだカタチでは遺されていない楽曲とも云えるでしょう。ジョンにとって相当な自信作で「詩だけでも通用する」と自画自賛していました。デヴィッド・ボウイがカヴァーした際には、ジョンがギターで参加しています。其のアレンジから判断すれば、おそらくジョンはフィル・スペクターによるスローなヴァージョンの方が気に入っていたと思われます。
(小島藺子)