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2012年09月10日

FAB4-198:GOLDEN SLUMBERS

ゴールデン・スランバー ゴールデンスランバー~オリジナルサウンドトラック~ Sesame Road


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:フィル・マクドナルド、ジェフ・エマリック(7/30-8/19)
 2E:クリス・ブレア(7/2-4)、ジョン・カーランダー(7/30-31)、アラン・パーソンズ(8/15-19)
 録音:1969年7月2日(take 1-15)、
    7月3日(take 13&15 を編集した take 13 に SI 「歌、ギター」、編集し take 16-17)、
    7月4日(take 17 に SI)、
    7月30日(take 17 に SI 「歌」)、
    7月31日(take 17 に SI 「歌、ドラムス、ティンパニー」)、
    8月15日(take 17 に SI 「オーケストラ」)
 STEREO MIX:1969年7月30日(take 17 より 1)、8月18日(take 17 より 1-2)、8月19日(メドレー編集)

 1969年9月26日 アルバム発売 (「ABBEY ROAD」 B-8)
 アップル(パーロフォン) PCS 7088(ステレオ)


ポール・マッカートニーが書いた楽曲で、アルバム「ABBEY ROAD」のB面メドレー第二部の最初に登場します。そして、其の後は最後までずっとポールが書いた楽曲が続くのでした。次の「CARRY THAT WEIGHT」とは、最初からメドレーとして録音されました。メドレー構想が固まってから最初にレコーディングされたのが「GOLDEN SLUMBERS」〜「CARRY THAT WEIGHT」と云う事になります。そして、其の時にジョン・レノンは交通事故に遭い入院中で不在でした。ゆえに、ベーシック・トラックは、ポール(ピアノ)、ジョージ(ベース)、リンゴ(ドラムス)の三人で行われ、おそらく其の後のオーヴァーダビングでもジョンは参加していないと思われます。ジョンは「ABBEY ROAD」のB面メドレーを「下らないガラクタの寄せ集め」と酷評しましたが、メドレー構想の初めに参加出来ず「ポール主導で進められていた」のが気に入らなかったのかもしれません。

此の「GOLDEN SLUMBERS」は、ポールが義理の妹ルース(ポールの父親ジムの再婚相手の連れ子)に絵本を読んであげていた時に見つけた16世紀に書かれたトーマス・デッカー作の子守唄から発想されています。余りにも古い曲なので、原曲が分からないポールは勝手に自分で曲をつけて詩も改変しました。でも、詩に関してはほとんど「モロパク」とも云えます。何百年も昔のもんだからって、こりゃマズイんじゃまいか。訴えられたら、完全に「アウト!」でしょう。ま、ポールは「パクリの常習犯」ですから、知ったこっちゃなかったのでしょうけどね。てか、自分でネタバレしちゃうし、挙句に「ビートルズは20世紀最大の盗作集団なのだ!(違う!其れは、ポール、お前だっ)」とか平気でぬかす「天然バカボン」です。そんでもって、子守唄なのに何でポールはこんなに大声でがなっておるのよさ。血管が切れそうな程にきばって♪ご〜るでんすらんば〜♪とか叫びやがってさ。こんなんじゃ、うるさくって全然眠れませんよっ。

「GOLDEN SLUMBERS」〜「CARRY THAT WEIGHT」は、否が応でもビートルズの終焉を聴く者に意識させる哀愁たっぷりでドラマティックな展開です。ジョージ・マーティンが書いた渾身のスコアによるオーケストラが盛り上げ、アルバム「ABBEY ROAD」を、そしてビートルズの評価を大いに高めました。然し!当のポール・マッカートニーは自分が成し遂げた事を全く理解していなかったのだ。1989年に、ポールは久しぶりの世界ツアーを開始します。1990年3月にはソロとして初の来日公演も実現しました。多くのビートルズ・ナムバーも解禁した素晴らしいライヴで、クライマックスで「GOLDEN SLUMBERS」〜「CARRY THAT WEIGHT」〜「THE END」が演奏されました。でもですね、ポールは当初セット・リストに入れる気はなくて、なんとなくリハーサルで演奏したのです。すると、スタッフが感動のあまり号泣し(其れは当然の反応だと思う)、其れを見たポールは「おやおや、そんなに受けるんだったら、本番でもやってみようかナァ」と決めやがったのよさ。

「サー・ポール、自分を過小評価しすぎですよ!」


(小島藺子)



posted by 栗 at 00:07| FAB4 | 更新情報をチェックする