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2012年08月30日

FAB4-187:MAXWELL'S SILVER HAMMER

Two Views Get Back - The Beatles' Let It Be Disaster


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:フィル・マクドナルド、トニー・クラーク(8/6)、ジェフ・エマリック(8/12-25)
 2E:ジョン・カーランダー(7/9-8/12)、アラン・パーソンズ(8/14-25)
 録音:1969年7月9日(take 1-21)、
    7月10日(take 21 に SI 「歌、ピアノ、ハモンド・オルガン、ギター、鉄床」)、
    7月11日(take 21 に SI 「歌、ギター」)、
    8月6日(take 21 を編集しながら SI 「モーグ・シンセサイザー」し、take 22-27)、
    8月25日(「オープニング用効果音」未使用)
 STEREO MIX:1969年7月10日(take 21 より 1-13)、8月6日(take 27 より 14-26)、
         8月12日(take 27 より 27-36)、8月14日(take 27 より 37、34 と 37 を編集)

 1969年9月26日 アルバム発売 (「ABBEY ROAD」 A-3)
 アップル(パーロフォン) PCS 7088(ステレオ)


ポール・マッカートニーがお得意の物語風でコミカルが楽曲ですが、詩の内容はかなり怖ろしく、マックスウェルズくんによる殺害場面が何度も出て来ます。「ホワイト・アルバム」の録音終盤だった1968年10月には既に曲が出来ていて、1969年1月の「THE GET BACK SESSIONS」でもリハーサルされました。其の模様は、映画「LET IT BE」で観ることが出来ますが、他の三人にコードを教えながらひとりでノリノリのポールに対して、ジョン、ジョージ、リンゴが思いっ切り「うぜぇ」と丸っきりやる気がないのがハッキリと分かります。ポールは此の曲が相当気に入っていたらしく、シングル化まで目論んでいたらしいのですが、ジョンとジョージは「あんな下らない曲に付き合わされて最悪だった」と語っております。

正式なレコーディングは、1969年7月9日から開始されました。其の日は、交通事故で入院していたジョン・レノンが復帰する日だったのですが、ジョンはトンデモな行動に出ます。なな、なんと、重傷で妊娠中でもあったヨーコが心配だったジョンは、アビイロード・スタジオにベッドに寝たヨーコを運び込んだのだ!そして、スタジオを移動する度にヨーコが寝たベッドも連れて行ったのです。おいおい、ジョン・レノン、交通事故に遭って遂に狂ったか?挙句に、ジョンは「MAXWELL'S SILVER HAMMER」の正式録音には参加した形跡がありません。「THE GET BACK SESSIONS」でのリハーサルだけで、もうウンザリだったのでしょう。でも、可哀相なのは、ポールの下らない曲に付き合わされ、ジョンの暴挙にも耐えた、ジョージ・ハリスンとリンゴ・スターですよっ。

ポールはそんなこたぁ知ったこっちゃなく、自信作なのでノリノリで何度も演奏し、たっぷりと時間を掛けて完成させました。8月6日には、ポールがモーグ・シンセサイザーでソロを弾いており、アルバムの曲順からだと此の楽曲がビートルズ史上初のシンセザイザー導入曲となります。でもですね、録音順だと其の前日(8/5)に行われた「BECAUSE」が最初なのです。其の時にモーグ・シンセサイザーを弾いたのは、ジョージ・ハリスンです。ジョージは、伊達や酔狂で「電子音楽の世界」なんてガラクタ盤を発売したわけじゃなかったのよさ。しっかりとモーグ・シンセサイザーの奏法を学び、ビートルズへ導入したのです。でも、ポールは楽器の天才なのだ。アラン・パーソンズが「ポールはどんな楽器でも、二、三日でマスターしてしまいます」と語るように、ジョージの努力を一瞬で粉砕する見事なソロを弾いてのけたのでした。嗚呼、ジョージ・ハリスン、踏んだり蹴ったりだっ。


(小島藺子)



posted by 栗 at 00:07| FAB4 | 更新情報をチェックする