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2012年08月29日

FAB4-186:SOMETHING

SHIRLEY BASSEY THE COLLECTION パティ・ボイド自伝 ワンダフル・トゥディ ロマンス~ラヴ・ソング・コレクション


 w & m:HARRISON

 P:ジョージ・マーティン(4/16、5/5-8/19)、クリス・トーマス(5/2)
 E:ケン・スコット(2/25)、ジェフ・ジャラット(4/16、5/2)、グリン・ジョンズ(5/5)、
   フィル・マクドナルド(7/11-8/19)、ジェフ・エマリック(8/15-19)
 2E:ケン・スコット(2/25)、リチャード・ラッシュ(4/16)、ニック・ウェブ(5/2)、
    スティーヴ・ヴォーン(5/5)、ジョン・カーランダー(7/11)、アラン・パーソンズ(7/16-8/19)
 録音:1969年2月25日(デモ take 1)、
    4月16日(take 1-13)、
    5月2日(リメイク take 1-36)、
    5月5日(take 36 に SI 「ベース、ギター」)、
    7月11日(take 36 を編集し take 37)、
    7月16日(take 36 に SI 「歌、手拍子」、編集し take 38-39)、
    8月15日(take 39 に SI 「ストリングス、リード・ギター」)
 STEREO MIX:1969年7月11日(take 36 より 1-4)、8月19日(take 39 より 1-10「実質 5-14」)

 1969年9月26日 アルバム発売 (「ABBEY ROAD」 A-2)
 アップル(パーロフォン) PCS 7088(ステレオ)

 1969年10月31日 シングル発売(最高位:英国4位、米国1位「米国発売は、1969年10月6日」)
 アップル(パーロフォン) R 5814(ステレオ)


ジョージ・ハリスンが書いた傑作で、ビートルズの楽曲では「YESTERDAY」に次いで数多くカヴァーされています。前述の通り「SOMETHING」は既に「ホワイト・アルバム」のセッション中には書かれており、「THE GET BACK SESSIONS」のリハーサルでも演奏されていました。其の際には、ジョン・レノンがテキトーにリード・ヴォーカルを担当するヴァージョンも聴けます。ジョージは、当初ジョー・コッカーに此の曲を提供し録音されますが、発売されたのはビートルズが先となりました。ジョージが此れほどの名曲を書くとは認識されておらず、フランク・シナトラがカヴァーした際には「20世紀最高のラヴ・ソングで、私が最も好きなレノン・マッカートニーによる楽曲です」と発言しました。マイケル・ジャクソンもジョージと対話中に「えっと。SOMETHING って、ジョージが書いたの?」とぬかしやがりました。ジョージは「マイケルは買ったビートルズの曲を見て、SOMETHING がない!と悔しがっただろうナァ」と語っております。

「SOMETHING」は、1969年2月25日にジョージひとりでデモが録音されます。ジョージは自分の誕生日祝いに、「SOMETHING」、「OLD BROWN SHOE」、「ALL THINGS MUST PASS」をたったひとりで録音したのです。三曲とも、既に「THE GET BACK SESSIONS」でビートルズとしてリハーサルを重ねたものの、正式レコーディングは行われなかったわけですよ。4月16日に「OLD BROWN SHOE」を録音した際に「SOMETHING」も取り上げられますが、其れは破棄され、5月2日からようやく完成版の録音となります。其のベーシック・トラックは、ジョージ・ハリスン(ギター)、ポール・マッカートニー(ベース)、ジョン・レノン(ギター)、リンゴ・スター(ドラムス)、そして、ビリー・プレストン(ピアノ)と云う「THE GET BACK SESSIONS」と同じ布陣で行われました。其の後、ジョージのギター、ポールのベースなどが加えられ、8月4日にラフ・ミックスまで至りました。俺様節全開!のポールによるベースがスゴイっす。

然し、其の段階でストリングスの導入が検討され、ジョージ・マーティンのスコアによるストリングスが8月15日に加えられて完成します。ちなみに、其の日にはアルバム「ABBEY ROAD」の全てのオーケストラ・パートが一日で録音されています。ジョージ・マーティンが大活躍ですね。ジョンは自分で「SOMETHING には参加していない」と語っておりますが、5月2日のベーシック・トラックの段階では参加していたと思われます。其の後は関与していないようなので、7月上旬に交通事故で入院していたりもしたので忘れちゃったんでしょう。そして、此のジョージの曲もジェームス・テーラー(当時アップル所属だった)の曲「SOMETHING IN THE WAY SHE MOVES」から冒頭の歌詞に丸ごと引用しています。ま、ジェームス・テーラーは訴えたりしていませんけどね。

前述の通り、「SOMETHING」は「COME TOGETHER」と両A面でシングル・カットされました。ジョージの楽曲がシングルのA面になったのは、ビートルズ史上、此れが最初で最後です。然し、此の曲がシングル化された事はジョージ・ハリスンの評価を一変させます。自分の曲でもチャート首位の大ヒットになると知ったジョージは自信を持ち、翌1970年に三枚組のソロ・アルバムで華々しくデビューし大絶賛されるのです。一枚はジャム・セッションなので実質は二枚組ですが、全てが名曲でした。然し、タイトルとなった「ALL THINGS MUST PASS」を始めとして、ほとんどはビートルズ時代に書き、取り上げてもらえなかった楽曲でした。何度でも云いますが、残念乍ら、ジョージ・ハリスンが所属していたバンドには、ジョン・レノンとポール・マッカートニーも居たのです。


(小島藺子)



posted by 栗 at 00:07| FAB4 | 更新情報をチェックする