w & m:LENNON / McCARTNEY
P:ジョージ・マーティン
E:ジェフ・エマリック、フィル・マクドナルド
2E:ジョン・カーランダー
録音:1969年7月21日(take 1-8、take 6 をコピーして take 9)、
7月22日(take 9 に SI 「歌、エレクトリック・ピアノ、ギター、マラカス」)、
7月23日(take 9 に SI )、
7月25日(take 9 に SI 「コーラス」)、
7月29日(take 9 に SI 「ギター」)、
7月30日(take 9 に SI 「ギター」)
STEREO MIX:1969年8月7日(take 9 より 1-10)
1969年9月26日 アルバム発売 (「ABBEY ROAD」 A-1)
アップル(パーロフォン) PCS 7088(ステレオ)
1969年10月31日 シングル発売(最高位:英国4位、米国1位「米国発売は、1969年10月6日」)
アップル(パーロフォン) R 5814(ステレオ)
ビートルズの実質的なラスト・アルバムとされる「ABBEY ROAD」の冒頭を飾るジョン・レノンが書いた楽曲です。アルバム発売後に「SOMETHING」と両A面でシングル・カットされましたが、英国で現役時代のビートルズがアルバムからシングル・カットしたのは此れが最初で最後です。新たにビートルズのマネジャーとなったアラン・クラインがアメリカ流のやり方で行った様で、英国では4位どまりでしたが、米国では首位を獲得しました。1969年のビートルズは、1月は丸ごと「THE GET BACK SESSIONS」に費やします。先行シングルとして「GET BACK / DON'T LET ME DOWN」を発表したものの、アルバム「GET BACK」はお蔵入りとなり、ビートルズは2月から別のアルバムへ向けての録音を始めてしまいます。
そして、おそらく4月に「THE BALLAD OF JOHN AND YOKO」を録音したあたりで、ポールがジョージ・マーティンに「もう一度、一緒にアルバムを作りたい。本当の意味で、プロデュースして欲しい」と要請し、マーティンは「本当に昔の様にプロデュースさせてもらえて、ビートルズとしてやる気があるならやるけど、そうじゃないならお断りだ」と了承しました。ジェフ・エマリックもビートルズの現場へ復帰し、既に完全にバラバラとなっていたビートルズは「此れが最後のアルバムになるだろう」と意識しつつ、プロとして一丸となり「ABBEY ROAD」を作り上げるのでした。
「COME TOGETHER」は、ティモシー・リアリー(「ドラッグの教祖」と云われていた心理学者)が、アメリカ合衆国カリフォルニア州知事選挙に出馬を表明した際に応援ソングをジョンに依頼したのがキッカケで書かれました。ところが、ティモシーは選挙運動中にマリファナ所持で投獄されてしまい、ジョンはチャッカリとビートルズの楽曲にしてしまったのです。然し、此の曲はチャック・ベリーの「YOU CAN'T CATCH ME」から歌詞を引用し曲調も似ていたので版権を持つモリス・レヴィーから訴えられてしまいます。結局、モリスが版権を持つ楽曲をカヴァーする事で和解し、ジョンのカヴァーの名盤「ROCK'N'ROLL」の誕生へ繋がります。ジョンは、わざわざ「YOU CAN'T CATCH ME」を「COME TOGETHER」風のアレンジでカヴァーし収録しやがりました。
演奏は、ポール・マッカートニー(ベース、エレクトリック・ピアノ)、ジョージ・ハリスン(ギター)、リンゴ・スター(ドラムス)の三人で、ジョンはタンバリンを叩いて歌っています。ポールがハーモニーをつけましたが「昔みたいには、上手くハモれなかった」とションボリしております。レコーディング時からジョンはノリノリだったと云われ、かなりお気に入りの曲だったのでしょう。1972年に行われた「ワン・トゥ・ワン・コンサート」では、ビートルズ時代の曲としては唯一「COME TOGETHER」を歌っています。歌詞の内容は難解で、ピーター・バラカン氏は「英国人のボクが聴いても、何を歌っているのかサッパリ分かりません」と語っております。
ところで、確かにジョンの曲ですけど、クレジットは「レノン・マッカートニー」なわけで、ポールは何にも責められないって何故かしらん。挙句に、1995年に「The Smoking' Mojo Filters」名義でポール・ウエラーとノエル・ギャラガーが此の曲をレコーディングしていたら、たまたま隣のスタジオにいたポール・マッカートニーが「お前ら、なにやってんだよ。おいおい、ボクの曲じゃん!(違うから、ジョンの曲だから)」と乱入し、「ダメだ、ダメだ!ジョンはそんな風には歌わない。よし、お手本を見せてやろう」と出しゃばり捲くり、結局は三人のユニットになってしまいました。プロモで張り切るポール・マッカートニーを、ウンザリした顔で見るポール・ウエラーとノエル・ギャラガーの顔を見ると切なくなります。「THE GET BACK SESSIONS」から四半世紀経っても、ポール・マッカートニーはちっとも変わっていませんでした。
(小島藺子)
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