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2012年08月24日

FAB4-181:GET BACK

Beatles_Get_Back.jpg ドリス・トロイ Getback-1.jpg


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン('69-1/27-4/7)、フィル・スペクター('70-3/26)
 E:グリン・ジョンズ('69-1/27-30、4/7)、ジェフ・ジャラット('69-3/26)、ピーター・ボーン('70-3/26)
 2E:アラン・パーソンズ('69-1/27-30)、ジェリー・ボイズ('69-4/7)、ロジャー・フェリス('70-3/26)
 録音:1969年1月27日(シングル、アルバムに使用)、
    1月28日(シングルに使用)、
    1月30日(映画で観れる「ルーフトップ・コンサート」を敢行)
 MONO MIX:1969年3月26日(1/27-28 のテイクから 1-4)、4月7日(1/27-28 のテイクから 5)
 STEREO MIX:1969年4月7日(1/27-28 のテイクから 1)、
         1970年3月26日(1/27、30 のテイクから 1-5、3と5を編集し 3)

 1969年4月11日 シングル発売(最高位:英米1位)
 アップル(パーロフォン) R 5777(モノラル)

 1970年5月8日 アルバム発売 (「LET IT BE」 B-6)
 アップル(パーロフォン) PCS 7066(ステレオ)


ポール・マッカートニーが書いた楽曲で、所謂ひとつの「THE GET BACK SESSIONS」のテーマ曲と云うべき作品です。1969年1月2日から1月31日まで行われたビートルズのセッションは、ポールが分裂危機を打破する為に「原点回帰」を提案し、オーヴァー・ダビングを行わず生演奏だけでアルバムを制作し、久しぶりのライヴ・ツアーを行うとのコンセプトから始まりました。「オーヴァー・ダビングをしない生演奏」を提案したのは、ジョン・レノンだった(ジョージ・マーティン証言)とも云われています。其れが後に、大問題に発展します。ポール以外の三人はコンサート・ツアーには反対し、レコーディング過程からフィルムに収めて「TVショウ」を制作する方向で、トゥイッケナム・フィルム・スタジオでのリハーサルが開始されました。リハーサル中にポールが「(Don't Dig )No Pakistanis」と云うかなり政治的な楽曲を披露し、ジョン・レノンも協力して「GET BACK」となります。

然し、トゥイッケナムでのリハーサルは更にビートルズの関係を悪化させ、1月10日に、ポールとの口論をキッカケに、ジョージ・ハリスンが脱退してしまいます。ジョージがスタジオを飛び出した後で、やけっぱちになってワインをガブ呑みした三人が演奏する「GET BACK」は、在る意味、鬼気迫るものがあります。ジョージは復帰する条件として、「TVショウ」は制作中止にする事を要求します。そして、険悪なグループ間の関係を緩和する為に(たまたま、アップルのロビーにいたところ、ジョージに誘われたと云われる)ビリー・プレストンを加入させ、1月22日からアップル・スタジオでの録音となりました。「TVショウ」の企画はなくなりましたが、全てのレコーディング過程をドキュメンタリー映画とする事になり、延々と撮影が続けられます。

面白いのは「THE GET BACK SESSIONS」のテーマ曲とも云える「GET BACK」が、セッションの途中で現場で作られた事実です。前述の通り、此の曲は初めは「イギリス国民の職を奪うパキスタン人は、とっとと自分の国へ帰れ!」と云う過激な内容でタイトルは「(Don't Dig )No Pakistanis」だったのですよ。それじゃ洒落にならないと歌詞を変えたわけですが、正式レコーディングになってジョージ・マーティンに「何て云うタイトルだい?」と訊かれたポールは「SHIT だよ!SHIT take 1」と応えやがったのでした。マーティンは、またしても怒りを堪えるのに必死だったでしょう。正直、「こんなバカとはやってられん!」と思ったかもしれません。だから、最終的にはグリン・ジョンズに丸投げしてしまったのでしょう。

1月30日には伝説の「ルーフトップ・コンサート」が公開ゲリラ・ライヴ・レコーディングとしてアップル屋上で敢行され、翌1月31日のスタジオ・セッションで「THE GET BACK SESSIONS」は終了しました。ビートルズとジョージ・マーティンは膨大な録音素材をグリン・ジョンズに丸投げし、4月11日にシングル「GET BACK / DON'T LET ME DOWN」が発表されました。演奏者名は両面とも「ザ・ビートルズ・ウィズ・ビリー・プレストン」となっており、此れはビートルズ史上、最初で最後の事です。ビリー・プレストンは「とても光栄なことだ」と語っております。実際にビリーが弾くエレクトリック・ピアノは印象的で、「GET BACK」のソロはビリーが書いていますし、カヴァーしてヒットさせてもいます。此のシングル・ヴァージョンに関しては、プロデューサー表記がなく、ジョージ・マーティンなのかグリン・ジョンズなのかよく分かっておりませんが、おそらくグリン・ジョンズでしょう。シングル盤は1月27日に録音されたテイクが元になっていますが、ブレイクして再び始まる部分は1月28日の録音のようです。

グリン・ジョンズは他の楽曲もプロデュースし、アルバム「GET BACK」を完成させます。ところが、ビートルズは二度も却下し「幻のアルバム」となってしまいます。更に、ビートルズは再びジョージ・マーティンやジェフ・エマリックと組んで(当然乍ら、ポールが二人に数々の非礼を詫び、頭を下げてお願いしたわけだが)「ABBEY ROAD」を制作してしまうのでした。映画の公開は決まっており、サントラ盤が必要となりますが、もうとっくにビートルズは「THE GET BACK SESSIONS」を投げ出しておりました。1970年1月27日に、ジョン・レノンが「プラスティック・オノ・バンド」としてのシングル「インスタント・カーマ」のレコーディングを行い、ジョージ・ハリスンも参加します。ジョージの推薦で、フィル・スペクターがプロデュースを担当し、ジョンとジョージは其の手腕を高く評価し、「THE GET BACK SESSIONS」のプロデュースを依頼するのです。ポール・マッカートニーには、何の相談もありませんでした。

フィル・スペクターがプロデュースしたアルバム・ヴァージョンは、シングルと同じ「1月27日の録音」を元にし、オープニングに1月27日テイクからジョンの替え歌、エンディングに1月30日の「ルーフトップ・コンサート」でのセリフを加え、ライヴ風に仕上げてあります。シングルとアルバムでは別テイクとの説もありますが、基本的には同じテイクを元にしていると思えます。1月30日の「ルーフトップ・コンサート」で最後に演奏されたテイクは「アンソロジー3」に収録されました。警官の介入によって途中でジョンとジョージのギター・アンプが切られてしまい、演奏がベース、ドラムス、エレピのみになってしまいます。映画を観ると臨場感がありますけど、音源だけだとマヌケですね。リード・ギターはジョン・レノンが担当し、内容もポールがジョンに呼びかけたとされますが、ポールがヨーコに「帰れ!」と云っているとも云われています。どっちにしろ、ジョン絡みの問題ではあります。


(小島藺子/鳴海ルナ)



posted by 栗 at 00:07| FAB4 | 更新情報をチェックする