w & m:LENNON / McCARTNEY
P:ジョージ・マーティン
E:ケン・スコット
2E:ジョン・スミス
録音:1968年8月9日(take 1-25)、
8月20日(take 24 に SI 「ドラム、他」 し編集した take 26 に SI 「ブラス」)
MONO MIX:1968年8月20日(take 26 より 1-8)、10月12日(take 26 より 1-2「実質 9-10」)
STEREO MIX:1968年10月12日(take 26 より 1-2)
1968年11月22日 アルバム発売 (「THE BEATLES」 C-3)
アップル(パーロフォン) PMC 7067-7068(モノ)、PCS 7067-7068(ステレオ)
ポール・マッカートニーがインドでのマハリシによる講義に影響されて書いた曲で、同じ様なテーマでジョン・レノンも「Child Of Nature」を書きました。ジョンの「Child Of Nature」は「ホワイト・アルバム」ではレコーディングされず、後に歌詞を全面的に変えてソロ・アルバム「イマジン」で「Jealous Guy」として発表されます。「MOTHER NATURE'S SON」は、1968年8月9日にビートルズの四人でのセッションが終了した後に、ポールだけが居残ってアコースティック・ギターの弾き語りで録音されました。ちなみに、其の日にビートルズが録音していたのはジョージ・ハリスン作の「NOT GUILTY」で、102テイクもやらかした挙句にボツになってしまう曲です。(ジョージがソロで、1979年の「慈愛の輝き」で発表。)
8月20日にポールが、バス・ドラム、ティンパニー、アコースティック・ギターをオーヴァーダビングし、ジョージ・マーティンが書いたスコアでブラスが加えられて完成します。つまり、此の曲もビートルズではポールしか参加していないソロ作品です。「ホワイト・アルバム」でポールは「WILD HONEY PIE」、「MARTHA MY DEAR」、「BLACKBIRD」、「MOTHER NATURE'S SON」と、四曲も完全なるソロ・レコーディングを敢行したのです。更に「WHY DON'T WE DO IT IN THE ROAD」と「I WILL」も限りなくソロに近いわけですよ。確かにジョンやジョージが書いた曲も個性的ですが、演奏は(ジョンの「JULIA」を例外として)ビートルズによって行われています。ゆえに、明らかにポールが暴走していたと思えるのです。
8トラックの導入によって、マルチ・プレイヤーであるポールは「ひとりで全部やれちゃう」ようになりました。もう、ジョージやリンゴにダメ出ししたり、ジョンの御機嫌を伺うこともなく、勝手気ままに自分がイメージした音楽を作れちゃうわけです。ハッキリ云って、ポールはビートルズでは、どんな楽器も一番上手いし、アレンジもしっかりしていて、ジョージ・マーティンにも気に入られていたのです。此の「MOTHER NATURE'S SON」も、マーティンはノリノリでスコアを書いて協力しているじゃまいか。しかし!他の三人は「おいおい、ポールがいい気になってるぞ」とドッチラケ・モードとなっておりました。
ポールによる単独レコーディングは、そのまんまソロ・アルバム「McCARTNEY(1970年)」に繋がっています。実際に「JUNK」は「ホワイト・アルバム」時代に書かれた楽曲でした。ビートルズの「ホワイト・アルバム」こと「THE BEATLES」には、其の後にソロとなる四人の原点が詰まっています。其れでも、バラバラなようでも、1968年の彼等は紛れも無く「ザ・ビートルズ」でした。「MOTHER NATURE'S SON」はポールしか参加していませんが、同時期に書かれてソロで発表した「JUNK」とは決定的な違いがあります。其れは、ポール・マッカートニーの想いです。此の時には、どんなに暴走してもポールはビートルズでした。他の三人に理解されなくとも、彼はあくまでも「ビートルズのポール」としてやらかしていました。切ないナァ、ポール。
(小島藺子)
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