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2012年08月08日

FAB4-165:YER BLUES

唄ひ手冥利~其の壱~ ロックン・ロール・サーカス [DVD] ライヴ・イン・トロント’69 [DVD]


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ケン・スコット
 2E:ジョン・スミス
 録音:1968年8月13日(take 1-14、take 6 を編集し take 15-16、take 14 を編集し take 17)、
    8月14日(take 16 と take 17 の編集版に SI 「歌」)、
    8月20日(「リンゴによるカウント(編集パート 1)」を録音し、モノ・ミックス 3 へ編集)
 MONO MIX:1968年8月14日(take 16 と take 17 の編集版 より 1-4)、8月20日(3 を編集)
 STEREO MIX:1968年10月14日(take 16 と take 17 の編集版、編集パート 1 より 1-5)

 1968年11月22日 アルバム発売 (「THE BEATLES」 C-2)
 アップル(パーロフォン) PMC 7067-7068(モノ)、PCS 7067-7068(ステレオ)


ジョン・レノンがインドで書いた曲のひとつで、当時のブルースロック・ブームを揶揄した内容です。演奏はビートルズの四人で行われ、ジョン(ヴォーカル、リード・ギター)、ポール(ベース)、ジョージ(リード・ギター)、リンゴ(ドラムス)と云う完璧な布陣です。敢えて二つのテイクを繋ぎ合せ、其の繋ぎ目もハッキリと分かるカタチで完成版としました。ジョンの自信作だったようで、アルバムに収録した後に二度もセルフ・カヴァーしています。但し、其の二度ともに、未だビートルズが解散する前だったにも関わらず別のバンドとして行われたのです。其れは「THE DIRTY MAC」と「THE PLASTIC ONO BAND」としてでありまして、其の辺の経緯は此処が未だ「COPY CONTROL」と名乗っていた頃(2004年9月)に書き、「コピコン・リマスターズ」#08(2004年9月)として復刻しています。

ゆえに其の記事の焼き直しになりますが、「YER BLUES」は、1968年8月にビートルズが録音し、11月に「ホワイト・アルバム」に収録されました。ところが、12月にローリング・ストーンズがメインのテレビ番組「ロックンロール・サーカス」にゲスト出演したジョン・レノンは「THE DIRTY MAC」と云うバンド名で此の曲を演奏します。メムバーは、ジョン・レノン(ギター、ヴォーカル)、エリック・クラプトン(ギター)、キース・リチャーズ(ベース!キースにベースを弾かせたっ)、ミッチ・ミッチェル(ドラムス)と云う強烈な布陣でした。更に、1969年9月に「THE PLASTIC ONO BAND」として「ロックンロール・リヴァイヴァル・ショー」に出演した時にも、此の曲を演奏しました。メムバーは、ジョン・レノン(ギター、ヴォーカル)、エリック・クラプトン(ギター)、クラウス・フォアマン(ベース)、アラン・ホワイト(ドラムス)と、これまたトンデモなスーパー・バンドです。

ビートルズの楽曲を他の連中とやらかされたのですから、ポール・マッカートニーは深く傷ついたでしょう。アルバム発表直後の「ロックンロール・サーカス」では「THE DIRTY MAC」と名乗られたのですから、もう完全に莫迦にされているわけですよ。ポールは「そうか、ジョンはライヴをやって、テレビに出たいんだ」と思い「THE GET BACK SESSIONS」を提案します。ところが、其れはビートルズの関係を更に悪化させる事となってしまうのです。気を取り直して「ABBEY ROAD」を制作しますが、ジョンの心はもう既にビートルズにはなく、「THE PLASTIC ONO BAND」としてまたしても「YER BLUES」を演奏されてしまいます。挙句にジョンに脱退宣言までされちゃうのですから、ポールは踏んだり蹴ったりですよ。ビートルズの解散は「ポールの脱退宣言」で確定したと云われましたが、実は、リンゴが辞め、ジョージが辞め、ジョンも辞めて、ポールがひとりぼっちになってしまった結果だったのです。


(小島藺子)



posted by 栗 at 00:07| FAB4 | 更新情報をチェックする