w & m:LENNON / McCARTNEY
P:ジョージ・マーティン
E:ケン・スコット
2E:マイク・シーディ(10/8)、ジョン・スミス(10/15)
録音:1968年10月8日(take 1-14)
MONO MIX:1968年10月15日(take 14 より 1-3)
STEREO MIX:1968年10月15日(take 14 より 1-5)
1968年11月22日 アルバム発売 (「THE BEATLES」 B-2)
アップル(パーロフォン) PMC 7067-7068(モノ)、PCS 7067-7068(ステレオ)
ジョン・レノンがインドで書いた曲のひとつで、デモの段階では「HAPPINESS IS A WARM GUN」の終盤部分に発展するパートも含まれていました。1967年には、アルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEART'S CLUB BAND」やEP盤「MAGICAL MYSTERY TOUR」で明らかにポールが書いた曲が多くなります。然し、インドで他にやる事がなかったからなのか、1968年の「ホワイト・アルバム」では半数近くをジョンが書いています。ポールはもちろん、ジョージやリンゴも曲を書いていますので、「ホワイト・アルバム」に最も多く曲を提供したのはジョンです。しかも「ホワイト・アルバム」に未収録になった曲も多く、それらは「ABBEY ROAD」や、ソロになってからの「ジョンの魂」や「イマジン」に収録されます。
「ホワイト・アルバム」の頃には、ジョン・レノンは後のソロ活動と変わらない姿勢で曲を書く様になっていました。其れは、とても個人的な感情を有りの侭に吐露する「私小説」的な方法です。此の「I'M SO TIRED」も、インドでのマハリシによる講義に疲れきった事実をそのまんま歌っています。けだるいムードで歌い出し、中盤から絶叫モードに移り、一旦大人しくなって、またしてもシャウト!と、僅か二分余りしかない曲で強弱をつけ捲くる「ジョン・レノン、魂の熱唱」が爆裂しております。物凄い表現力です。此の人は、本当に歌が桁違いに上手い!上手すぎるのだ。ジョンは「天性の歌手」です。
レコーディングはビートルズの四人によって、10月8日のセッションで全てが行われ完成しました。ポールのバック・ヴォーカルが、ステレオよりもモノラルの方が明らかに大きくミックスされています。「ポール死亡説」の根拠のひとつとして、此の曲のエンディングでジョンが「Monsieur,monsieur,how about another one ?」と意味不明なことをつぶやいている部分を逆回転させると「Paul is a dead man. Miss him. Miss him. Miss him.」と聴こえると云うのもありました。それでは、此の曲でベースとエレクトリック・ピアノを弾いて、バック・ヴォーカルを担当しているのは誰なのでしょう?「ポール死亡説」にはそれらしい根拠が沢山ありますが、全てがビートルズの楽曲やアルバムのジャケットを元にしています。偶然と云うには出来すぎた展開ですので「ビートルズが自ら仕掛けた悪戯だったのではないか」とも思えます。
(小島藺子)
【関連する記事】