w & m:HARRISON
P:ジョージ・ハリスン(1/12)、ジョージ・マーティン(2/6-8)、ジェフ・エマリック('70-1/27)
E:J.P.セン & S.N.ガブタ(1/12)、ジェフ・エマリック(2/6-8)、ケン・スコット(2/8)、
ピーター・ボーン & ジェフ・ジャラット('70-1/27)
2E:ジェリー・ボイズ(2/6)、リチャード・ラッシュ(2/8)、ジョン・バレット('70-1/27)
録音:1968年1月12日(「Untitled」take 1-5)、
2月6日(take 5 をコピーした take 6 に SI 「歌」)、
2月8日(take 6 に SI 「バック・ヴォーカル」)
MONO MIX:1968年2月6日(take 6 より 1)、2月8日(take 6 より 2-4)
STEREO MIX:1970年1月27日(take 6 より 1)
1968年3月15日 英国シングル発売
パーロフォン R 5675(モノ)
ジョージ・ハリスンの作品で、ジョージのソロ・アルバム「不思議の壁(Wonderwall Music)」(1968年、ジェーン・バーキン主演映画「Wonderwall」のサントラ盤)のセッションをインドのボンベイにあるEMIスタジオで行った時に演奏が録音されました。つまり、ジョージ・ハリスンがプロデュースしたソロ作品が始まりだったのですが、ジョンとポールが楽曲の美しさを絶賛し、前述の通りシングル化を強く推し、特にジョンは自作の「ACROSS THE UNIVERSE」をボツにしてまで推したのです。「楽曲を台無しにしそうだ」と歌入れに躊躇したジョージに、ポールが「やってみろよ、大丈夫、いい曲なんだから」と励ましたそうです。ジョージがビートルズに持ち込んだインド音楽ですけど、ジョンとポールも大いに認めていたからこそ、「LOVE YOU TO」、「WITHIN YOU WITHOUT YOU」そして「THE INNER LIGHT」が「ビートルズの作品として世に出た」のでしょう。
ジョージのヴォーカルと、エンディング近くでジョンとポールがワン・フレーズをバック・ヴォーカルで加えただけで、演奏は全てボンベイで録音されたインド人ミュージシャンによるもので、ビートルズは演奏には全く関わっておりません。特にリンゴは「何も考えていない」どころか「何もやっていない」のだ。其れでも、ビートルズのシングル曲としてジョンもポールも推し「LADY MADONNA」のB面として発売されたのです。詩は、ほとんどが「Tao Te Ching(老子道徳経)」からの引用と云われています。あたくしは後追いで中学生の時にシングル盤「LADY MADONNA」を買って、B面の此の曲を聴いて「こんなの買って、失敗した!頑張ってお金を貯めてアルバム「HEY JUDE」を買えば好かったっ(其の前にシングル「HEY JUDE」を既に買っていた)」と激しく後悔しました。インド音楽なんて、さっぱり分からなかったのだ。今では好きですけどね。
シングル曲ですのでモノラル・ミックスしか行われず、可哀相な事に「THE INNER LIGHT」は米国編集盤のアルバム「HEY JUDE」にも収録されませんでした。ステレオ・ミックスが行われたのは、1970年1月27日で、公式発表されたのは、なな、なんと、1981年12月7日(「THE BEATLES EP COLLECTION」のオマケ)でした。ジョージは、自ら選曲した「青盤(1973年)」にも入れなかったのよさ。1970年1月27日のステレオ・ミックス時にセカンド・エンジニアとして「ジョン・バレット」の名前があります。彼は、後に「驚愕のアウト・テイク流出」(バレットが流出させたわけではないけどさ)で有名になってしまいます。そして、其の1970年1月27日には、ジョン・レノンが「PLASTIC ONO BAND」のシングル「INSTANT KARMA !」のレコーディングを開始し、ジョージ・ハリスンもリード・ギターで参加しています。プロデューサーは、フィル・スペクター!其れがキッカケとなって、ジョンとジョージはフィル・スペクターに、所謂ひとつの「THE GET BACK SESSIONS」のプロデュースを依頼するわけですが、其れはもう少し先のお話です。
(小島藺子)
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