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2012年06月06日

「ジョンは日本通」(復刻版)

ジス・イズ・ミスター・トニー谷


ハーマンズ・ハーミッツの大ヒット曲「I'M HENRY THE VIII, I AM(ヘンリー8世君)」(1965年全米首位)で「シェー!」をやっていて、大瀧師匠によるとコレは赤塚不二夫さんの「おそ松くん」のイヤミの決めフレーズらしいのです。(1997年2月7日 FM横浜「我が不滅のリバプール」でのピーター・バラカンさんとの対談で指摘。)実際に聴いてみると、確かに「シェー♪」で終わってますなぁ。すげぇ。

2006年はビートルズ来日40周年ということで、様々なメディア展開がなされています。「レココレ」でも来日特集がメインで、その中の宮永正隆さんによる記事(「ホテルに“缶詰状態”だったと言われる東京での五日間の真実」)に、来日中に日本の音楽雑誌で唯一ホテルでの撮影が出来た「ミュージック・ライフ」(星加ルミ子さん)が、ジョンに「シェー!」をさせて、それが1966年8月号に掲載されたとあります。(9月号には、ポールまで「シェー!」を教わっている写真が載っているそうです。)星加さんったら、数年前に来日したジャネット・ジャクソンに生放送で「1、2、3、ダァー!」をやらせたピストン西沢ちゃんみたいなことをやってますなぁ。

確かに、当時は「シェー!」が大流行していましたし、あたしの当時の子供時代の写真にも「シェー!」をやっているものがありました。そして、ビートルズが来日する前に、ハーマンズ・ハーミッツも来日公演を行っていますので、やはりアレはイヤミの「シェー!」なのかな?

ところが、ハーマンズ・ハーミッツの来日も1966年1月なのですよ。あれれ、じゃあ、1965年にヒットした「ヘンリー8世君」に何故「シェー!」が入っているのでしょう?これは偶然の一致なのかしら?いや、ジョンがスキヤキを若大将と食べた時に「日本ではこうするのが正式なんだろ?」といって床に座って食べようとしたこと(まだ、ジョンはヨーコさんとは出逢う前です)を考慮すると、ピーター・ヌーンも来日前から日本に興味を持っていたのではないか?と考えた方が面白いですね。だからアレはイヤミの「シェー!」で決まりです。ついでに言うなら、ジョンは日本に興味津々だったわけで、だから喜んで「シェー!」もやったし、5ヶ月後にヨーコさんとの劇的な出逢いへと繋がったのでしょう。

ちなみにイヤミのモデルはトニー谷さんで、復刻アルバムの監修は大瀧師匠です。ついでに、大瀧さんにはハーマンズ・ハーミッツの「あの娘に御用心」の同名異曲(ジュリーに提供して、セルフカバーもしています)があり、さらに「朝からゴキゲン」の同名異曲を発表すると告知だけしたこともあります。こーゆー噺は際限なくつづくので、今日はここまで。


初出:2006年5月21日「COPY CONTROL」



「シェー!」の記事が続いたので、大昔の「コピコン」からヒッパレしてみました。ちなみにジョンは「シェー!」が完璧に出来ていますが、ポールは出来ておりません。更に「SGT. PEPPER'S LONELY HEART'S CLUB BAND」のジャケットに登場している「福助人形」は、ジョンが来日公演時に購入したものらしいです。


(小島藺子)



posted by 栗 at 00:07| FAB4 | 更新情報をチェックする