テレビ朝日 21:00〜23:24
▼スタッフ
原作:加藤廣「信長の棺」日本経済新聞社・刊
監督:三村晴彦
脚本:長坂秀佳
チーフプロデューサー:五十嵐文郎(テレビ朝日)
プロデューサー:内山聖子(テレビ朝日)、武田功(松竹)、中島等(松竹)
制作:テレビ朝日、松竹
▼出演者
太田牛一:松本幸四郎
織田信長:松岡昌宏
楓:片瀬那奈
羽柴秀吉:中村梅雀
徳川家康:西郷輝彦
石田三成:篠井英介 / 清如:内藤剛志 / 秋津:松本紀保 / 小鶴:貫地谷しほり /
明智光秀:小日向文世 / 大村由己:蟹江敬三 / 才蔵:渡辺いっけい / 惣兵衛:夏八木勲
お鍋の方:浅野ゆう子
「カメレオン俳優・片瀬那奈」参上。
遂に、時代劇にまで挑戦し、同時間帯で「西豪寺エレナ様」が益々ぶっ壊れ、「高田清美さま」が狂おしく上映されて居る、いま、此の時、彼女をあたしは最大限の敬愛を込めて、こう云います。「怪優・片瀬那奈」の息吹を、あたしたちは、目の当たりにしているんだね。
ドラマの感想は、此処で書くべきことでは御座りませぬ。此処では「楓」が、如何に在ったかを、記録せねばならぬのじゃ。そうよ、此処は「片瀬那奈全記録」なので御座居ます。
果たして、片瀬は、いやさ「楓」は、お見事でごじゃりました。那奈ちゃんは、才能も在るうえに努力家だから、一見、何でも出来てしまう様に見えます。でも、初挑戦の時代劇で「天下の松本幸四郎さま」の相手役なんて大役を、しっかりと務め上げられたんだもん。此れってさぁ、ものすぎょいことだと思うんだ。
で。あたくしは那奈ちゃんの「太田牛一」です。其れは、もう文句ないだろ?なんてな。あたくしなんぞが、そんなわきゃねーよ。「勿体のう御座居ます。」
(小島藺子/姫川未亜)
「日曜洋画劇場特別企画スペシャルドラマ 信長の棺 」テレビ朝日公式サイト
以下、公式サイトより引用させて戴きます。
【あらすじ】
天正七年、織田信長(松岡昌宏)は天下統一の拠点とすべく、わが国初の五重天守を持つ安土城を完成させた。
それから三年、信長旗下の武将たちは各地で天下平定のための戦いを進めていたが、中国備中高松城攻めで苦戦する羽柴秀吉(中村梅雀)の要請に応えて、信長は明智光秀(小日向文世)を援軍として派遣する命を下し、同時に、ある野望を持って自ら京に上ることを決断する。
上洛前日、信長の側近・太田信定(松本幸四郎)は、信長に呼ばれてある秘密を打ち明けられた上、五個の木箱を託される。信定は、全国各地に展開する信長旗下の武将から届く戦況報告を吟味して、混乱や矛盾を訂正して信長に差し出す役目についており、愚直なまでの信長への忠誠心を持つところか“牛一”と呼ばれていた。
信長は、秘密が成就したら即刻木箱を持って駆けつけるよう牛一に命じ、翌日、わずかな手勢を従えて京へと向かったのだった。
翌々日未明、安土城への急使によって牛一は、信長が光秀の謀反により宿泊先の本能寺で殺されたことを知る。森蘭丸(森田直幸)を始めとするわずかな小姓たちのみの戦力では、光秀の軍勢に敵うはずもなく、味方は討ち取られ、本能寺は火を放たれて全焼したという。だが、不思議なことに焼け跡のどこを捜しても信長の遺骸は発見されなかったということだった。
この知らせを受けた牛一の脳裏をよぎったのは、これまでの信長の事績を書き留めた資料、そして信長から託された木箱をなんとしてでも守らねばならぬということだった。信長の側室・お鍋の方(浅野ゆう子)に殉死を止められたことも、牛一自らが資料と木箱を守らねばならぬという決意を一層固めさせた。
牛一は、資料を寺の住職となっている弟に預け、木箱は自ら下僕を指揮して寺近くの土中に埋めた。牛一には、一刻も早く北陸で戦っている柴田勝家に急を告げ、光秀討伐に向かってほしいと告げる使命が残されていた。だが、牛一は勝家のもとに向かう途中、何者かに襲われた挙句、幽閉されてしまう。そして二十日あまり経ったころ、幽閉先に弟に預けたはずの信長の資料が届けられる。
十ヵ月後、牛一のもとに、信長旗下の武将・前田利家(佐野圭亮)からの使者が現れる。利家と対面した牛一は、「大殿もそなたと会うのを楽しみにしている」と声をかけられる。牛一にとって、大殿とは信長以外には考えられない。信長は生きていたのか? だが、牛一の前に現れたのは秀吉だった。牛一を幽閉していたのは秀吉で、その間に、歴史は大きく転換していた。信長が討たれた直後、秀吉は備中高松からわずか五日あまりで引き返し、光秀の軍を打ち破っていたのだ。そしてその後、秀吉は巧に人心を掌握、信長に代わって天下人となっていた。これを知らされた牛一は複雑な思いにかられるが、秀吉の、これからは余に仕えよという言葉に逆らうことはできなかった。
以後、牛一は秀吉の事績を記録する一方で、『信長公記』と題した書物を刊行することに情熱を注いでいく。だが、信長の遺骸の謎は残されたままだった。なぜ遺骸は発見されなかったのか? この謎を解かないことには、『信長公記』が完成したとは言えないことを、牛一自身はっきりと自覚していた。