劇画原作者の巨匠である「梶原一騎」氏の作品には多くの名作がありますが、カジワラ・イズムが炸裂した破天荒な代表作と云えば「四角いジャングル」でしょう。カジワラ世界では「巨人の星」の様にリアルとフィクションを混同させる手法は御馴染みですし、実録と称して「空手バカ一代」の様なファンタジーも描きました。然し乍ら、例えば「巨人の星」でどんなに魔球を駆使しても、現実世界でジャイアンツが勝てなければ物語にならないのです。「新・巨人の星」の失敗は其れが最大の原因だったと思われます。実録モノも、幾ら盛っていても基本的には「史実に沿ったカタチ」でなければリアリティが失われます。
ゆえにフィクションとしての「あしたのジョー」は、自身の経験や実在のモデルがあったとは云え、筆がノッタと思われます。でも、其の傑作も「ちばてつや氏との壮絶なコラボレーション」で生み出されたのでした。力石の葬儀が実際に行われた事実に触発されたのか、梶原は、劇中のヒロインを歌手や女優の芸名にして売り出したりもします。梶原の中でリアルとフィクションが混沌とし、遂に「劇画世界が現実世界を操作する!」と云うトンデモな発想を実現するのでした。其れが「四角いジャングル」です。
物語は、当初は「赤星潮」と云う主人公で展開し、云ってみれば「格闘技版の巨人の星」かと思われました。「打倒!ベニー・ユキーデ(潮の兄がユキーデに負けたから)」とのモチベーションで頑張るわけですけど、最初から「謎のマスクマン」としてミル・マスカラスと引き分けたりして、かなり強いのだ。ところが、物語が進むにつれて何やらおかしな展開になるのです。何故か、ストーリーは現実の格闘技世界を同時進行で追うドキュメンタリーとなり、挙句に「私(梶原)だけは知っている!」とか「これは事実である!」とか云って、現実世界よりも先を預言し、主役はアントニオ猪木とウイリー・ウイリアムスになってしまい、実際に行われた二人の対戦を描いて完結しちゃったのだっ。「赤星潮」は、ウイリーの通訳に成り下がっていましたとさ。なんじゃ、こりゃ。
当時は「極真」とも「新日」とも懇ろだった梶原は、クライマックスの「猪木 VS ウイリー」の実質的なプロデューサーでありまして、筋書きも梶原が書いたのです。但し、猪木とウイリーは打ち合わせしていたけど、両セコンドは「ガチ」だと思っていたらしいです。よーするに、梶原はフィクションでリアルを喰ってしまおうとしたのだ。伝説の「ミスターX」のくだりなんかは、劇画をみてワクワクしたのに、リアルは何だ?って事にもなったのですけど、オチの「猪木 VS ウイリー」はビシッ!と決まったので格好はつきました。「夢のオールスター戦」も描かれているので、当時の有名レスラーはほとんど出て来ますが、主役が猪木になってからは新間が名脇役として登場します。「空手バカ一代」で有名な「極真」の面々も、勿論、梶原本人も弟のマッキーも出捲くりですよっ。こんなにオヤジが目立っているマンガって、、、。そう云えば、女の子が全然出て来ません。男くさぁ〜っ。
此れで調子に乗った梶原は、タイガーマスクをデビューさせるわけですよ。でもですね、やっぱり、梶原が創ったのはフィクションです。偉大なる「虚構」で「現実」に立ち向かったのです。自分がシナリオを書いたのに、「猪木 VS ウイリー」が一旦は引き分けになって再戦となる場面で、観客が「いいぞーッ梶原一騎!!」と叫びます。劇中の梶原は「いいぞなんてもんじゃない、、、、おれはプロレスとカラテの威信と今後のためを思い、いつのまにか夢中でリングに立っていただけのこと」などと独白しますが、其の場面をドキュメンタリーと称して書いたのも梶原なのです。梶原は「いいぞーッ梶原一騎!!」と、自分で書いたのだよ。もう此れは梶原の「魂の叫び」です。臆面も無く「いいぞーッ梶原一騎!!」って自分で書けるのは、梶原しかいませんよっ。明らかに、此の場面の主役は梶原です。流石は、最後に「男の星座」(遺作となってしまった未完の自伝劇画!勿論、主人公は「梶一太」こと梶原本人!!滅茶苦茶、面白いです)を書くわけだ。
(小島藺子)