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2012年02月21日

「色褪せないコトノハ」

ザ・ベリー・ベスト・オブ「ナンシー関の小耳にはさもう」100 (朝日文庫)


こうしてネット上で文章を書くキッカケとなったのは、2002年6月のナンシー関死去です。其れまでは仲間内のサイトで掲示板やチャットをしたり、巨大掲示板で匿名投稿をする程度だったのですが、ナンシーが亡くなって「記名で投稿しよう」と決めました。ナンシーが逝って、既に十年も経過してしまいました。此の十年もの間、あたくし達はナンシーの新作コラムを読めなかったのです。何という不幸。

其の死は余りにも突然で、ナンシーは死の直前まで普通に現役でした。当時は「噂の眞相」と「週刊文春」と「週刊朝日」に連載中だったと記憶しております。ナンシーのコラムは2002年で終わっており、其れは最新作でも既に十年前に書かれた文章です。そして、彼女が書いていたのはテレビ番組を中心とした芸能ネタであり、かなり時事性があるものでした。普通に考えれば経年によって面白さは薄れてしまうのです。

ところが、例えば「ザ・ベリー・ベスト・オブ ナンシー関の小耳にはさもう 100」と云う文庫本は、2012年の現在でも充分に面白いのだ。此れは「週刊朝日」に1993年から2002年までの十年間で462回連載された「小耳にはさもう」から100(99人)を選び五十音順に並べた本です。ゆえに、一番古いものは二十年前で、最新でも十年前に書かれたコラムであり、しかもテーマはテレビの結構どうでもいいようなバラエティ番組などで芸能人が語った言葉に注目したものなのです。浮き沈みの多い芸能界での十年も二十年も昔の些細な事などに普遍性があるとは思えないのですが、驚くべき事にナンシーのコラムには其れがあります。

おそらくナンシーが生きていたなら現在は「AKB48」なども取り上げたと思いますが、其の場合でもナンシーは「AKB48」をタイトルにはしなかったでしょう。例えば「ダチョウ倶楽部」を語る時に、ナンシーは敢えて「寺門ジモン」のどーでもいい発言に食いつき、結果的には「ダチョウ倶楽部」の本質に迫るのです。そして其れは単に「ダチョウ倶楽部」と云うトリオを語るのではなく「お笑いにおけるトリオとは何ぞや?」とのテーマへと進んでゆくわけです。長嶋一茂が入団時に放った「ウチの父も野球をやっていたんですけど」発言に拘る視点の切れ味は、二十余年を経ても錆付いておりません。

然し乍ら、此の本を2012年の現在に再読して思うのは、登場する99人のほとんどが普通に芸能界に残っている事実です。そして、もう既に十年も二十年も昔にナンシーが其れらの人物の些細なひとことから見透かした彼等の本質が、現在も全く変わっていないのだよ。いや、其の「負のパワー」は増長していると云えるでしょう。とっくの昔にナンシーが警告していたおぞましい未来は、見事に的中しているのです。あたくし達は、折角ナンシーが預言してくれた災いから逃れずに居るのだ。嗚呼、何という不幸。


(小島藺子)


posted by 栗 at 00:58| KINASAI | 更新情報をチェックする