1990年10月に「Traveling Wilburys」の二枚目のアルバムが発表されました。二枚目なのに、何故かタイトルは「Traveling Wilburys Vol.3」となっております。一作目の評判が好かったので覆面バンドとしての活動も続けたのですが、ロイ・オービソンが亡くなり、デル・シャノンが加入したものの亡くなってしまったので「Vol.2」は幻のアルバムとなったとも云われています。兎も角、ジョージは「Traveling Wilburys」としての「肩の力が抜けた活動」を楽しんでいた模様です。
ポールは初のソロ全世界ツアーを成功させ、余裕たっぷりで1991年1月25日に「MTV」の「アンプラグド」に出演しました。其の模様は、6月に「公式海賊盤」として音源が発表されています。「どうせ海賊盤が出るに決まってるから、先に公式で出しちゃえ」とばかりにやらかしたわけですが、前作である世界ツアーを記録した派手な「Tripping The Live Fantastic」の逆を行った渋い内容は興味深いです。初めて書いた曲と云われる「I Lost My Little Girl」や、ツアーでは披露していなかったビートルズ・ナムバーに加え、初ソロ作の「マッカートニー」からの曲も多く披露しました。
そして、1991年12月にジョージが来日公演を行いました。1989年にリンゴ、1990年にポール、そして1991年にジョージと、三年連続で「元ビートルズ」の来日公演が実現したのでした。ジョージにとっては、1974年の北米ツアー以来17年ぶりの実演ツアーでしたが、なな、なんと此のツアーは日本のみで行われたのです。盟友クラプトンが全面的にバックアップした実演は、ビートルズからソロまでの全キャリアからジョージの名曲を惜しみなく披露する内容で、クラプトンは中盤に僅か4曲しかメインを取らず、徹底的にジョージのサポートに徹しておりました。あたくしは此の公演を初日と最終日に足を運んだのですが、同一ツアーで二回も観た洋楽公演は此の時のジョージだけです。
此の日本限定ツアーの模様は、1992年7月に「LIVE IN JAPAN」として二枚組で発表されました。内容はクラプトンのパートを除いたジョージのみの構成で、19曲が収録されています。音源としては公式盤が発売されたものの、旧盤と現行盤ではミックスが違っていますし、映像も残っているのに公式では数曲しか公開されていません。ジョージにとって最後のツアーとなってしまった「LIVE IN JAPAN」の完全版映像作品も待たれます。1990年代に入って、ポール、ジョージ、リンゴの活躍も目立って来ました。そして此の頃、1990年9月にジョンのベスト盤「LENNON」が発売されています。四枚組に73曲収録でジョンのソロ活動を総括した内容でしたが、廃盤となってしまいました。其の後もジョンのベスト盤は出ておりますが、個人的には「LENNON」が最も好かったナァ。特に四枚目の「ダブル・ファンタジー」と「ミルク&ハニー」からジョンだけに編集された盤は、愛聴しました。
(小島藺子)
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