1984年1月にジョンとヨーコのアルバム「ミルク&ハニー」が発表されました。発売予告から結構時間が掛かったと記憶する此の作品は、遺作となってしまった「ダブル・ファンタジー」と同時期にジョンが録音していた未完成の楽曲とヨーコの新曲を前作同様に交互に並べ、ジャケットも「カメラ小僧」こと篠山紀信による別テイクを使用した「続編」的な体裁です。ジョンの曲はリハーサル・テイクですが、カウントを取ったり間奏を指示したりする生々しい声も入っており、楽曲自体の完成度は高いです。然し乍ら、あくまでも未完成状態であり、ジョンが生きていたならば発表されなかった音源でしょう。此の作品を皮切りに、多くの未発表音源が公式発売されてゆきます。当時も今もあたくしは「ダブル・ファンタジー」と「ミルク&ハニー」のジョンの曲だけにした音源しか聴いておりません。再発されて購入する度に、一回くらいは通して聴こうとするのですけど、出来ないのです。特に此の「ミルク&ハニー」は、完全なる「後出しジャンケン」ですから、ジョンのリハーサルだけでまとめた方が好かったと思います。
ポールは、1984年10月に「ヤァ!ブロード・ストリート(GIVE MY REGARDS TO BROAD STREET)」を発表します。此れは同名映画(ポールが脚本と主演)のサントラ盤で、プロデューサーはジョージ・マーティン、ゲストにはリンゴ、デヴィッド・ギルモア (ピンク・フロイド)、エリック・スチュワート (10cc)、ジョン・ポール・ジョーンズ (元レッド・ツェッペリン)、デイヴ・エドモンズ、クリス・スペディング、スティーヴ・ルカサー (TOTO)、ジェフ・ポーカロ (TOTO)、などの豪華絢爛な布陣です。新曲は三曲のみで、他はリメイクなのですが、ビートルズ時代の楽曲を六曲も再演した事が大きな話題となりました。リンゴは敢えて「ビートルズ・ナムバーでは共演しない」と頑固な姿勢をみせ、其の模様は映画でも観られます。テーマ曲である新曲「No More Lonely Nights(ひとりぼっちのロンリー・ナイト)」は文句なしの名曲で、シングルとアルバムはヒットしましたが、「夢オチ」の映画は酷評されました。また、「The Long And Winding Road」のサックスを加えたスットコドッコイなリメイクは「おいおい、此れじゃフィル・スペクターのオーケストラ・アレンジ版を貶せないだろ?」とファンにも呆れられました。映画はプロモーション・ヴィデオ集と考えれば、結構楽しめます。
1984年には、ジョンの息子であるジュリアンがデビューしました。父親そっくりな風貌と歌声でビートリーな楽曲を歌う「ヴァロッテ」は大ヒットし、シングル・カットされた三曲も売れました。一躍スターとなったジュリアンでしたが、其の後はオリジナル路線を目指し苦闘してゆきます。余りにもビートルズに似ていると批判されたジュリアンが「赤の他人がオヤジやポールおじさんのマネをして賞賛されているのに、僕がやると貶されるのはおかしいだろ?ビートルズ風な音楽を継承する権利を持っているのは、僕じゃないのか?」と云ったのには泣けてきましたね。確かに、正論です。1985年には「LIVE AID」がありまして、英国のトリでポールが出たのですけど「ジョージ、リンゴにジュリアンを加えてビートルズ再結成か?」などと「東スポ」の様な煽りがありました。結局、ポールがソロで出演したのですけどね。其れで、いきなりだナァで「LET IT BE」を歌ったわけですよ。マイクがオフになっていたのも「トホホ」でしたが、其れ以前に何ゆえポールは「LIVE AID」の様な場で「LET IT BE」を歌うのでありましょうか。「9・11」の時には「I'M DOWN」を歌っていたしさ。其れは兎も角としまして、ポールによるビートルズ再演やジュリアンのデビューなどで1980年代半ばになっても「ビートルズは強し!」との機運は高まってまいりました。
(小島藺子)
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