1982年11月、ジョージはアルバム「Gone Troppo」を発表しました。此の作品は、ジョージのソロで最も評価が低く、セールスも散々でした。またしても音楽制作への興味を失い、映画製作へ没頭してゆくジョージは、ほとんどプロモーション活動もしなかったので、なな、なんと英米共に100位以内にも入らなかったのです。当時の日本での評価も最悪で、例えば「お金の心配がない人の道楽ですね」とか「こんなアルバムを出すのは、古くからのビートルズ・ファンへの裏切りだ!」とか、もう滅茶苦茶でした。でも、そんなに酷いアルバムではありませんし、あたくしはかなり好きです。シングル・カットされ全米では53位とそこそこ売れた「Wake Up My Love」の大袈裟なアレンジとか、ドゥワップ・グループ「ステレオズ」のカヴァー「I Really Love You」で普通にコーラスを決めちゃうトコも好いですし、「ホワイト・アルバム」でボツになった「Circles」も聴けるし、映画主題歌の「Dream Away」では愛するシリータとジョージのデュエットが実現しています。此の多彩な感じこそが「ビートルズ」ではありませんか。然し、ジョージは此の後五年もアルバムを出さないのです。「僕は、もう引退した人間だ」との発言もありました。
そんなジョージの音楽業界への失望には、矢張り二年前の悲劇が大きく関わっていたのでしょう。同じく1982年11月に、ジョンのベスト盤「THE JOHN LENNON COLLECTION」が発売されました。死後初めてのベスト盤で、当時はレーベルを越えた選曲となっていました。アナログでも17曲入りで、CDは19曲入りです。遺作となってしまった「ダブル・ファンタジー」でのジョンが書いて歌った7曲中、なな、なんと6曲も収録されています。ジョンは生前に「Shaved Fish」と云うシングル集を出していましたので、新たな売りとして「Love」や「Jealous Guy」とバラードの名曲も加え、未収録だった「Stand By Me」とB面の「ようこそレノン夫人」も入って、「Shaved Fish」ではメドレーだった「Give Peace A Chance」と「Happy Xmas(War Is Over)」もシングル・ヴァージョンになりました。CDだと「Mother」と「女は世界の奴隷か!」以外は「Shaved Fish」収録曲も聴けるのです。そんなお徳用とも云えるベスト盤でしたが、何と云っても凄いのはジャケットでした。此のアップで見つめるジョンは「1980年12月8日」に撮影された写真なのです。まさか、其の数時間後に撃ち殺されるとは夢にも思っていなかったジョンがいます。
さて、1983年9月にリンゴはアルバム「Old Wave」を発表します。ところが、此の作品はドイツ、カナダ、日本のみで発売され、英国でも米国でもリリースされなかったのです。リンゴが次のオリジナル・アルバムを出すのは、約10年後となります。ソロでは完全に落ちぶれ「アル中街道まっしぐら」となったリンゴでしたが、ポールのアルバムに参加して元気な姿は見せていました。1983年10月に発表されたポールのアルバム「パイプス・オブ・ピース」は、前作「タッグ・オブ・ウォー」と同様にジョージ・マーティンがプロデュースしジェフ・エマリックがエンジニアを務めています。と云うか、此の二作は「二枚組」の構想で制作され、バラ売りしたんですけどね。特大ヒットとなったマイケル・ジャクソンとの共演曲「セイ・セイ・セイ」が入っているアルバムとの印象が強いのですけど、ハッキリ云って「セイ・セイ・セイ」だけ浮いていると思います。ポール、リンダ、リンゴ、エリック・スチュワートの四人が出演したプロモがステキな「So Bad」とか渋い名曲が揃っているのですけど、ど派手な「セイ・セイ・セイ」だけ目立ってしまいました。シングルの「セイ・セイ・セイ」はバカ売れしましたが、アルバムのセールスは全米15位と振るわず、遂に「最後の頼みの綱」であるポールまで低迷してゆくのでした。
(小島藺子)
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