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2011年11月04日

「AFTER THE BEATLES」其の捌

Shaved Fish Blast From Your Past Best of


1976年2月にビートルズのEMIとのレコーディング契約が満了し、四人はそれぞれ新たな契約が可能となりました。ポールはEMIと契約を続行、ジョージとリンゴは別のレコード会社へ移籍し、ジョンはどことも契約しなかったのです。つまり、ジョン・レノンは引退したわけですね。其れで、EMIから離れるポール以外の三人はベスト盤を出す事となりました。最初は、ジョンです。ジョンは1975年10月9日(ジョンの誕生日)にヨーコとの間にショーンが生まれ、翌1976年7月にはアメリカ永住権を獲得します。当時はよく分からなかったのですが、引退記念としてベスト盤を発表したのでしょう。

当時ジョンのシングル盤がほとんど廃盤になっていた事に驚いたジョンが「シングル集」を出そうと決めたらしいです。ジョンはシングルとアルバムを別にすると云うビートルズ時代からの信念を持っていたので、多くのシングル曲がアルバム未収録でした。其れで、1975年10月にシングル集「Shaved Fish」を発表します。単なるシングル集ではなく、オープニングとエンディングに編集された「平和を我等に」を配しアートワークも凝った「レノンらしい」ベスト盤です。余談ですが、オリジナルの会心作からカヴァー集ときてシングル集で引退との流れは「歌手・片瀬那奈」と全く同じ流れでした。

次に、1975年12月にリンゴが矢張りほぼシングル集と云えるベスト盤「想い出を映して」を発売しました。全10曲とCD世代以後には些か物足りない曲数ではありますが、其の内の那奈曲がトップ10入りの大ヒット曲と云う「ビートルズでアルバムに一曲の人」とは思えない全盛期の狂い咲きしたリンゴが堪能出来ます。当時はシングルでしか聴けなかった曲もガッツリと収録したお徳用盤で、1970年代リンゴの最後の輝きと云える作品となりました。てゆーか、ハッキリ云って1970年代前半はリンゴが最も多くのヒット・シングル曲をぶちかましていたのです。アルバムも売れましたし、世の中が些かイカレポンチ状態になっていたのかもしれません。此の後、いい気になったリンゴはどん底まで堕ちてゆくので御座居ます。

さて、時系列で解散後のビートルズを語っている此の連載ですけど、此処で一寸反則をします。順番だと次はポールのWINGSからリンゴのアルバムへと続くのですけど、其れらを飛ばしてジョージのベスト盤を先に語ります。ジョージのベストは其の名も「THE BEST OF GEORGE HARRISON」として1976年11月に発売されました。既にジョージは自分のレーベル「ダーク・ホース」ごとワーナーに移籍し新作アルバム「33 1/3」を11月19日に発表するのですが、なな、なんと「THE BEST OF GEORGE HARRISON」はEMIから翌11月20日に発売されたのです。正に「過去と現在のジョージが闘っている!」状態を演出されてしまったっ。

ジョージはEMIからのベスト盤発売には協力し自ら選曲した様です。「赤盤」と「青盤」の選曲でも有名なジョージの選曲ですから、輝かしいソロ・キャリアから厳選されたベスト盤となったことでしょう。ところが、EMIから「おまいのソロ・ベストなんて売れないのだ」とダメ出しされ、勝手にアナログのA面はビートルズ時代の作品でB面がソロ時代の作品と云う屈辱的な編集盤にされてしまったのでした。ジャケットも「やっつけ仕事」で好い加減な出来栄えですし、アルバム未収録曲も「バングラ・デシュ」のみでした。ジョンは勿論、リンゴですらソロ作品でのベスト盤が出せたのに「ビートルズが解散して一番得した男」と呼ばれたジョージだけが「スットコドッコイなベスト盤」を出されてしまったのです。

でもですね、冷静に考えると確かに此の時期にはジョージは様々なトラブルを抱え、一時期のイケイケ状態も過ぎていたのです。「今更、ジョージのソロだけじゃ売れないべ」と判断されても仕方なかったのかもしれません。そんなこんなでジョンは引退し、ジョージとリンゴの栄華も続かずとなった1976年からは、正にポールの独り勝ち状態になってゆくのでした。解散後にボロクソに貶し捲くられたポールでしたが、気が付けばチャッカリとトップとなり独走していました。ちなみにポールがベスト盤を出すのは1978年12月でして、随分と先の事です。「ベスト盤なんか出さなくともオリジナルがバカ売れしてるじゃん!」と、余裕ぶっこいていたわけですね。


(小島藺子)



posted by 栗 at 09:21| FAB4 | 更新情報をチェックする