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2011年11月03日

「AFTER THE BEATLES」其の那奈

ロックン・ロール Venus & Mars ジョージ・ハリスン帝国


1975年1月に、ようやく法的に「ビートルズ解散」が確定されました。但し、ビートルズとしてのEMIとのレコーディング契約は翌1976年2月まで残っており、四人は其れまではアップル・レーベルから作品を発表してゆきます。1975年2月に、ジョンは前作「心の壁、愛の橋」から半年足らずでアルバム「ロックン・ロール」を発表しました。此の作品は、実際には「心の壁、愛の橋」よりも前から制作していたカヴァー集です。ビートルズ時代の作品「COME TOGETHER」がチャック・ベリーの「You Can't Catch Me」の盗作だと版権者(モリス・レヴィ)から訴えられそうになり、版元の楽曲を三曲カヴァーする条件で示談になりました。ジョンは、問題の「You Can't Catch Me」を堂々とカヴァーしております。

所謂ひとつの「失われた週末」に入った直後の1973年10月から12月までフィル・スペクターのプロデュースで録音されますが、発狂したスペクターがマスター・テープを持って失踪します。海賊盤を聴くとジョンもへべれけに酔っ払っていて、無茶苦茶なセッションだったと思われます。テープは1974年6月にジョンの元へ還って来ますが、ほとんど使い物にならないと判断したジョンは1974年10月に三分の二に及ぶ9曲を再録音しました。ところが、アルバム完成間近の音源が盗まれ、1975年初頭に「ROOTS」として通販で販売されてしまいます。当然ジョンは訴え後に勝訴しますが「こっちが本物だ!」とばかりに「ロックン・ロール」を発売したのでした。ジャケットには1961年のメジャー・デビュー前にハンブルグで撮影されたショットが使われ、ジョンの前を横切っているのは「ポール、ジョージ、スチュ」です。原点回帰とも云えるロケンロールのカヴァーは「やはり、ジョンはビートルズだ」との印象を強く受ける傑作となったのでした。

発売当時のインタビューで「今回はカヴァー集ですから、レノンさんには印税が入らないのですけど、マッカートニーさんには入るって知ってますか?彼はバディ・ホリーの版権を持っているんです」と訊かれたジョンが「それは知らなかったな。でも、誰か知らない奴が俺のレコードで儲けるよりも、ポールが儲けた方がずっといい。あいつは、俺の兄弟だからな」と応えているのは、結構ぐっとくるエピソードです。其のポールは1975年5月に新生WINGSとしてのアルバム「ヴィーナス・アンド・マース」を発表し、前作に続き大ヒットを記録します。9月からは世界ツアーを開始し来日公演も発表されますが、麻薬の前科を理由に入国拒否となり中止されました。然し乍ら、遂に名義を「WINGS」と認めさせたのですから、もうポールはイケイケドンドン状態へと向かいます。しかも、ポールは一足先にアップル・レーベルから抜けております。先行シングルの「あの娘におせっかい」(なんと云う邦題!)から、ポールだけはアップルではなくなっているのです。反してリンゴは1975年7月にモーリンと離婚し、イケイケ状態だったソロ活動も低迷してゆきます。

さて、ジョージは1975年9月に先行シングル「二人はアイ・ラヴ・ユー」(トンデモ邦題!)とアルバム「ジョージ・ハリスン帝国」(もっとトンデモ邦題!)を発表します。「YOU」(「二人はアイ・ラヴ・ユー」の原題)は名曲ですが、実は1970年の「ALL THINGS MUST PASS」の頃にロニー・スペクターの為に書いた楽曲で、バッキング・トラックも当時の録音を流用した作品でした。第二弾シングル「ギターは泣いている」も明らかにビートルズ時代の二番煎じで、「ビートルズが解散して最も得した男」の称号に翳りが見えて来ました。既に自分のレーベルを持っていたジョージは、契約上でアップルから出さなければならない事でダラケていたのかもしれません。レーベルには芯だけになった林檎マークが描かれ、オリジナル・アルバムとしてはビートルズ四人の最後の作品となりました。う〜む、ダンダンダンと主役がポールからジョージに代わってきた感じもしますね。此の頃にはポールは大成功しちゃったので、落ちぶれてゆくジョージの方が面白くなるんですよ。あたくしは「苦しみの中から立ち上がる物語」が好きなんです。


(小島藺子)



posted by 栗 at 17:45| FAB4 | 更新情報をチェックする