ビートルズのアルバム「LET IT BE」は、1970年5月に発売されました。音源のほとんどは1969年1月の「THE GET BACK SESSIONS」を元にしているので、実質的なラスト・アルバムは1969年9月に出た「ABBEY ROAD」と云われます。只、オリジナル作品として最後に発表されたのが「LET IT BE」であるのも事実です。ゆえに、1970年4月に発表されたポールの初ソロ・アルバム「McCARTNEY」は「未だバンドが存在中に出された作品」となります。其のアルバムのプロモ盤でポールが所謂ひとつの「ビートルズ脱退宣言」をぶちかまし、ジョンは「俺が先に離婚したのに、アイツはソロ・アルバムのプロモーションに利用しやがった」と激怒するのでした。
前回「ビートルズで最後にソロを出したのはポール」と書きましたが、実は「ビートルズを最後に脱退したのもポール」なのです。最初に脱退したのはリンゴで、1968年8月の「ホワイト・アルバム」セッションの時でした。「ポールがリンゴのドラムにダメ出しをした」なんて噺もありますが、他の三人がそれぞれのプロダクションで楽曲を制作しているのに、リンゴはやる事がなくて拗ねてしまったのでしょう。次はジョージで、1969年1月の「THE GET BACK SESSIONS」で起こりました。此れは「ポールがジョージのギターにダメ出しをした」のが発端ですが、「ヨーコがジョージのビスケットを勝手に食べたので、ジョンとも喧嘩した」なんて噺もあります。そして、1969年9月にジョンが脱退宣言をします。此れらは全て当時は内密とされましたので、恰も1970年4月のポール脱退宣言が最初の様に思われていました。また、史実が明かされても必ず「ポールとの確執」が絡んだ様に伝えられたのです。
兎も角、1970年5月まではビートルズが存在していたので、本格的なソロ活動は其れ以後と云えるでしょう。其れで、最初にアルバムを出したのはリンゴだったのです。9月にチャッカリと二枚目のソロを発売しますが、今度もカントリーを歌うお気楽な作品で、たったの二日で録音しています。とは云え、天下のビートルズが解散したと騒がれた時期に真っ先にソロを出すあたりは商売上手と云えるでしょう。11月にはジョージが渾身の三枚組「ALL THINGS MUST PASS」を発表し、長年ジョンとポールの下で虐げられた鬱憤を一挙に晴らします。12月にはジョンが「ジョンの魂」を発表し「脱ビートルズ宣言」を音楽作品として昇華させました。ジョージとジョンの作品にはリンゴが参加しており、つまりは「ポールがいないビートルズ」が提示されたのです。其れはとても新鮮で、ジョージは商業的にも大成功しますし、ジョンは「流石はビートルズのボスだ」と賞賛されました。
単純な事なのですけど、ジョン、ジョージ、リンゴは「ポールがいない世界」を表現すればよかったのです。勿論、其処には確かに「ビートルズらしさ」も漂いますが、より強く個性が強調された音楽となりました。対して、ポールは個性を発揮すればするほど「ビートルズ」に近づいてしまうのです。其れは「ビートルズの音楽を作っていたのが、ポール・マッカートニーだった」からでしょう。他の三人には「ビートルズではない音楽もあった」のだけど、ポールには「ビートルズ以外の音楽はなかった」のです。確かに、ジョンもジョージもリンゴも「ビートルズ」と戦いました。でも、其れは「ビートルズ=ポール」だったのです。ポールだけが「自分自身との戦い」を強いられるのでした。
(小島藺子)