nana624.png

2011年10月29日

「AFTER THE BEATLES」其の壱

Wonderwall Music 平和の祈りをこめて~ライヴ・イン・トロント(紙ジャケット仕様) Sentimental Journey


あたくしがビートルズを知ったのは1973年の「赤盤青盤」でありまして、もう既に解散状態になっていました。ゆえに、現役時代は全て後追いで聴いたわけです。当時はメムバーだった四人がソロ(ポールはWINGS)で大ヒットをそれぞれ出していて、何となく似た感じがするソロ作品を好きになっていたので、其の「ジョン、ポール、ジョージ、リンゴ」が実は少し前まで同じバンドに居たと「赤盤青盤」で知って吃驚したものです。其れで過去のビートルズ時代の作品を貪る様に聴いたのですが「何故こんなに素晴らしいバンドが解散したのだろう」と子供心に素直に思いました。

解散の経緯とかを調べると、当時は「ポールが悪い」と云われていて、映画の「LET IT BE」を観てしまうと「なるほど、ポールが悪いナ」と信じ込んでしまったのです。「ヨーコが悪い」って噺もあったものの、ハッキリ云って「メムバーの嫁さん」としてしか認識していなかったし、映画「LET IT BE」にはリンダ&ヘザーやモーリンも出ていたので「ビートルズは奥さんをスタジオに連れてくるのは普通の事なんだな」って印象しかありませんでした。そんな事よりも、ジョージのギターにダメ出しをしたり、ひとりで盛り上がっているポールが「自分勝手な奴」と映ったのです。

ソロ・アルバムを出して解散宣言をしたのがポールだと云う事も書かれていて、いたいけな子供はすっかり鵜呑みにしていたものです。ところが、ダンダンダンと「其れは些か間違っているのではないのか」と思う様になります。あたくしが初めて買った「解散後のビートルズ」作品は「BAND ON THE RUN」で、其れはビートルズの作品と同じ感動を与えてくれたのです。と云うよりも「最もビートルズと似ている」と思えました。そんな音楽を作る人がビートルズを解散させたとは信じられなくなりました。

現在では、解散の原因がポールではなかった事は分かっています。逆に、最後までバンドを存続させようと考えていたのがポールでした。アルバム「LET IT BE」発売の三週間前にソロ・アルバム発売を強行しトドメを刺したとの件も、史実を紐解けば全く以って変な噺となります。何せ、ポールはビートルズの四人で一番最後にソロを出しているのです。他の三人が出したのですから、ポールだって出したかったのでしょう。より正確に云えば、1967年に映画「ふたりだけの窓」のサントラ盤をポールは出していますが、アレンジはジョージ・マーティンで演奏もマーティンのオーケストラが担当しており、ポールは作曲で関わっただけで、其れをソロ作品とするのは些か無理があります。

ソロ作品を最初に出したのはジョージで、1968年11月に「不思議の壁」を発売しています。映画のサントラ盤ですが、同じ月に発売されたビートルズの「ホワイト・アルバム」よりも前に出しているのです。此れでは「レリビの前にソロを出すな!」との「ポールへのダメ出し」が通用しません。更に、同じ月にジョンは「TWO VIRGINS」を出します。「ホワイト・アルバム」発売の僅か一週間後の事でした。翌1969年5月には、ジョンが「LIFE WITH THE LIONS」を、ジョージが「電子音楽の世界」を同日に発売しています。ジョンは7月に「平和を我等に」10月に「冷たい七面鳥」とシングルも出し、11月に「ウェディング・アルバム」12月に「平和の祈りをこめて」を発売、翌1970年2月にはシングル「インスタント・カーマ」と、もうやりたい放題に「ビートルズ以外の作品」を出し捲くっています。挙句にリンゴまで3月にチャッカリと初ソロ「センチメンタル・ジャーニー」を発売しているのです。そりゃ、ポールだって「ボクも出したい」と云うでしょう。

アルバムに関しては、ジョージの最初のはサントラ盤で基本的にはインストですし、二作目は初期のシンセで遊んだだけのガラクタです。ジョンは、ライヴ盤以外の三枚はヨーコとの「前衛音楽」で、「レボリューション 9」に耐えられた片でも付き合い切れない代物です。ライヴ盤のA面は「流石はビートルズのボス・ジョニーだっ」と思わせますが、B面のヨーコで滅茶苦茶になります。リンゴは、スタンダード曲を贅沢に歌う企画盤です。それぞれのソロは確かに「ビートルズではやれなかった」との大義名分も成り立つ様なツクリになっていますが、ジョージのインド音楽やモーグ・シンセサイザーといい、ジョンのアバンギャルドといい、リンゴのスタンダードといい、全て「ホワイト・アルバム」などには「ビートルズ」として収まっているのです。

対して、ポールの初ソロ作品は、ほとんどが自宅録音で4チャンネルでひとりで演奏という「宅録」の元祖とも云えるもので、試みとしては最も「ビートルズではやれない事」とも思えます。「ホワイト・アルバム」でソロを何曲もやらかした経験から発展させたとも云えますけどね。半分はインストですし、サウンド・チェックでやった曲なども収録されたパーソナルな作品集なのです。然し乍ら、歌ものでは湧き出る「ポール・マッカートニー節」がギラリと光る名曲が揃っていて、其れはつまり「ビートルズの曲」と何ら変わらない美しさを放っています。本来なら革新的な「宅録」作品と評価されてもいい作品が「プロダクションが雑なビートルズの出来損ない」と酷評される事となったのでした。


(小島藺子)



 
posted by 栗 at 12:00| FAB4 | 更新情報をチェックする