ビートルズが解散状態になって、ジョン・レノンは「ジョンの魂(1970年)」「イマジン(1971年)」と後世に遺る傑作アルバムを発表しました。然し、1971年秋にニューヨークへ移住した事で何かが変わってしまいました。多くの反体制活動家と知り合い、政治的な活動へのめりこんでゆくのです。シングルとして発表した「Power to the People」や、1972年のアルバム「Some Time in New York City」などで顕著な様に、其れは音楽作品にも大きく反映されました。現在市販されている「Power to the People」のPVでは、レノンが米国各地でデモ行進を先導する映像が観れます。
レノンには「前衛音楽作品」などもあり、其れは「大衆音楽家・レノン」を愛するファンは勿論、一般人には「聴くに耐えないゴミみたいな音源」です。でも、其れはまだ「許せるお遊び」だったと思うのです。レノンの最大なる失敗は「音楽に政治を持ち込んだ」事でしょう。確かに、流石はレノンだけあって政治色満載の「Power to the People」や「Woman Is the Nigger of the World」なども「力強いロケンロールの名曲」として聴かせてしまいました。特に「Power to the People」は本来の意図した内容を超えて、楽曲として遺ってしまった名曲でしょう。
当のレノンは毎度の事ですが「政治的活動」も「マイ・ブーム」のひとつに過ぎず、其の後は別のテーマで曲を書く様になりますが、何せ天下無敵のビートルズのボスがやらかしたお騒がせの数々を米国政府が「はい、そうですか」と無かった事にはしませんでした。レノンは国外退去命令を受け、永住権を得るまで何年も闘わなければならなくなりました。其の間は流石のレノンも荒れて、所謂ひとつの「失われた週末」と云われるロスでの日々を送ったりもしますが、其の時期の音源が結構「お気楽」で好かったりもします。其の後、ニューヨークに戻ったレノンは引退し、五年以上の「ニート」生活を経て復帰した直後に射殺されました。
近年のデモにおいても「Power to the People」が歌われたりしますが、レノンは「反体制とか左翼の人」ではありません。たまたま「Power to the People」を作った頃にそんな気分になっていただけで、事実、レノンは特定の団体を支持した事もないのです。世界で最も有名なバンドのボスだったウブなロケンローラーが、政治的な団体に上手く利用されてしまったのかもしれません。レノンが、例えばベッドインしても、ドングリを送っても、世の中は何も変わらなかった。そして、実際にデモ行進の先陣をきっても、変わったのは「レノンの立場」だけでした。レノンは純粋な人なので常に色んな活動を本気でやりましたが、少なくともリアルタイムでは「またジョンが変になった」としか思われていませんでした。
あっちのデモもそっちのデモも、あたくしは賛同しません。主張に賛成出来ても「デモでは何も変わらない」と思います。デモに駆り出されたレノンは、ピエロです。彼がやるべきなのはデモの先導者ではなく、音楽を奏でる事じゃないですか。「Power to the People」は、イカレタ歌です。現にレノンも、晩年はちゃっかりレーガン政権を支持する保守派に変節しています。平和ソングと呼ばれる「イマジン」が誇大妄想狂の世迷言である様に、レノンの歌は出鱈目なのです。一貫した思想性なんて、全く在りません。只の「大衆音楽」です。其れをどう捕らえようとも、レノンの知ったこっちゃないのです。
(小島藺子)
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