渡哲也は、1941年12月28日生まれの俳優です。1964年に「石原裕次郎に会えるかも知れない」との想いで日活撮影所へ訪問しスカウトされ芸能界入りし、翌1965年に映画「あばれ騎士道」で俳優デビューしました。日活を退社後、大手からの誘いを断り尊敬する石原裕次郎の「石原プロ」へ入社し、当時は倒産寸前だった「石原プロ」を再建する為に数々の映画に出演し、自社制作のテレビドラマ「大都会(1976年〜1979年、日本テレビ)」や「西部警察(1979年〜1984年、テレビ朝日)」で主演するなど、副社長として大いに会社に貢献しました。ちなみに、石原と渡は「御誕生日が同じ」です。石原の死後は社長に就任し活躍しましたが、2011年に石原の23回忌(2009年)を終えた事と健康上の理由(1992年に直腸癌を患い克服している)から退任しました。俳優としての輝かしいキャリアは云うまでもありませんが、歌手としても「東京流れ者」や「くちなしの花」などのヒット曲を持っています。2005年には「紫綬褒章」を受章されました。
片瀬那奈ちゃんとは、団長主演ドラマ「熟年離婚(2005年、テレビ朝日)」で親子役で共演しています。残念乍ら映像作品化されていないドラマですが数字は高く、最終回は関西では「30%」を叩き出したのです。とゆーか、再放送とか映像作品化とかしてもらいたいと願うのは、其の「スットコドッコイなストーリー展開」が滅茶苦茶に面白いからです。前回からの繋ぎで「マグロ(2007年、テレビ朝日)」を用いたのはですね、「熟年離婚」と「マグロ」のキャスティングが被り過ぎだからなのだ。団長が父親で、松坂さんが母親で、息子が「21世紀の裕次郎」ってトコまでは、許そう。然し、次男が「あっちゃん」で、高島姐さんも出てるのだ。そんでもって、長女は「あまみん」で、次女が「内田有紀ちゃん」と来たなら「完全無欠のカタセカイ」ではありませんかっ。
団長の様な御方をあたくし如きが語るのは畏れ多いのですが、大河ドラマ「勝海舟(1974年、NHK)」で途中降板されたのは子供心にも残念でした。当時「仁科明子さんのファン」だったので、本当に無念です。それと「浮浪雲」は好きで全話観てましたね。其の後の「西部警察」は、団長などと云いつつ、リアルタイムでは全く観てないのですけど、其れは当時あたくしがTVを持っていなかったからでしょう。事実、あたくしは「1979年〜1984年」の期間、TVを持っていなかったのです。そんな貧乏噺は置いといて、片瀬クンも「ゾッコン☆LOVE」になってしまうのが分かる程に、団長は「カッコイイ」です。舞台「フラガール」の時に、団長は最高級の御花を届けられていました。東京公演全てに足を運んだあたくしが断言します。団長の送られた御花は、千秋楽まで枯れることなく飾られていました。
さて、団長とドラマ「結婚(2009年、テレビ朝日)」で共演されたのが、(つづく)
(小島藺子)