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2011年01月25日

「コピコン・リマスターズ」#06(2004年12月)

Let It Be... Naked [Bonus Disc]


最も長く聴き続けて居るのは THE BEATLES なわけで、当然所有する音源も彼等のモノが圧倒的に多い。沢山いっぱい数え切れないほど彼等のレコードやCD、Video、LD、DVDを購入した。書籍やその他のグッズも買ったけれど、やはり音源が聴きたい。よーするに在るモンは全部聴いてみたいわけだ。

彼等のレコーディング・テープは驚くほど数多く残されて居て「ANTHOLOGY」でボツやライヴの一部も公式化されたし、其れに入らなかったモノもほとんどがブートで聴くことが出来る。それはどーゆーモノかと云うと、例えば「HELP!」はtake1からtake12まで通して聴ける。「それがどうした」と云われたら「ハイそれまでヨ」の展開だけど、此れがええんだよ、うん。とは云えこんな状況になったのは1988年以降のことで、かつていわゆる「海賊盤レコード」なんてモノを聴いた者にとって今は夢の様な時代なのだ。なにせ当時(1970年代から1980年代中頃までのいわゆるアナログ時代)のブートは「高価でデザインも音質も劣悪で、しかもフェイク」ってな代物。CD時代になって「ウルトラ・レア・トラックス」を聴いた時の衝撃は凄かった。其れまで延々公式音源だけを聴き続けて居たんだからね。昔は「ACROSS THE UNIVERSE」の Bird version(「パストマスターズvol.2」収録)ですら「幻の音源」だったのだ。

其れで、今まで一番多く聴いて来たのは、ズバリ「THE GET BACK SESSIONS」なんですなぁ。理由は簡単で「音源」がほとんどすべて残ってしまったからなのね。彼等は此の時「映画」の為に撮影されて居たので、1969年1月2日から31日までが「リハーサルから会話から何もかんも全部」映像と音声で記録されてしまったのよ。プライベートなんて、ないないない。で、此のセッションは「酷い」ってことになった。

だけど、ぼくらは此のセッションを限りなく愛して居る。こんなに壮絶な崩壊をすべて魅せたバンドは、他に居ない。そしてぼくにとって12月から1月までが、ビートルズの季節だ。たったの二ヶ月だけど、つまり其れはすべてなのだ。

1968年5月20日から29日にかけてジョージの自宅に集まったビートルズは、数多くのデモを制作する。32曲(ジョージ・マーティン談)にも及ぶ其れらの新曲は、ほとんどがインドで書かれた。1968年2月にシングル用の「LADY MADONNA」と其の関連(B面「THE INNER LIGHT」、世紀のボツ音源!!「ACROSS THE UNIVERSE」、プロモ撮影時に時間が勿体無いからと録音!!「HEY BULLDOG」)をレコーディングした後、4人はインドへ行ったのだけど、瞑想したり遊んだりして居たわけではなく日々曲作りに勤しんでいたわけだ。

其れを叩き台にして、いよいよ5月30日から本格的なレコーディングに入り10月14日まで続く。其れは11月22日に「THE BEATLES」(通称「ホワイト・アルバム」)として発表される。2枚組30曲入りの大作だが、先行シングル「HEY JUDE / REVOLUTION」(8月30日発売)は未収録、なのに30曲、しかも在った曲を全部入れたわけではなく「POLYTHENE PAM」「MEAN MR. MUSTERD」「JUNK」「CHILD OF NATURE(後のJEALOUS GUY !)」「WHAT'S THE NEW MARYJANE ?」「NOT GUILTY」「CIRCLES」「SOUR MILK SEA」などは温存(と云うかボツ!)、ともかく現在に於いてすら「問題作で大傑作」で在る。

てんでバラバラな音楽をやって居る様でも、ジョンとポールが曲順を決めただけ在って妙な整合性が在り、なおかつ狂気が漂う。此れをビートルズの最高傑作だとする意見も決して少なくはないのだ。11月にはジョージのソロ(サントラ盤)とジョンとヨーコの前衛アルバムも出て居るのだから、しばらく休んでもバチは当たらない。

しかし、此処からがビートルズだ。以前も詳しく書いたけれど「ホワイト・アルバム」が発売された翌月、ジョンが暴走する。ビートルズの新曲を別のバンドで再現し、バンド名は「ポールいらね」だ。其処でポールは早くも「THE GET BACK SESSIONS」を考案する。ジョンのライヴ重視と云う意見を聞き入れて「原点回帰」をテーマにアルバムを作ろうと云うわけだ。此処までの展開は、一ヶ月も経たないうちに起こった。リハーサルは年明け早々始められる。彼等にとって発売後一ヶ月半も経って居ない「ホワイトアルバム」など、最早過去のモノだった。

ビートルズは急いで居た。其の理由は、映画でポールがジョンに云った此の言葉で充分だろう。「君と一緒なら、いくらだって演奏するよ」

「THE GET BACK SESSIONS」 を元にして、1969年4月11日にシングル「GET BACK / DON'T LET ME DOWN」が先行シングルとして発売された。続いて5月28日にはグリン・ジョンズの編集でアルバム「GET BACK」が完成するが、ビートルズは発売を承諾せず、無視するかの様に2月から別のレコーディングに没頭してしまう。映画の完成も遅れたため「GET BACK」は忘れられて行き、9月26日には「ABBEY ROAD」が先に発売されてしまうのだ。しかし映画のサントラ盤として「GET BACK」は必要だったので、翌1970年1月3日と4日にジョン(前年9月に極秘に脱退宣言していた)以外の三人で追加レコーディングした「I ME MINE」(結果的に最後の録音)を差し替え、映画に沿った内容の「GET BACK」第二版がグリン・ジョンズによって1月5日に完成。だが既に解散状態のビートルズから承諾を得られず、此のふたつの「GET BACK」はお蔵入りとなった。此の幻のアルバムは、基本的にオーバー・ダビングを行わないスタジオ・ライヴ・レコーディングに近いモノで、現在では一部は公式盤「アンソロジー3」で聴けるし、多くのブートで全貌も明かされている。

1970年3月6日にシングル「LET IT BE / YOU KNOW MY NAME」が発売されるが、ベースとなった録音はA面が1969年1月でB面は1967年5月のモノだった。此処で初めてフィル・スペクターが登場する。3月中旬にジョンとジョージに依頼されたスペクターは「THE GET BACK SESSIONS」の膨大なテープと格闘しオーバー・ダビングを繰り返す。もはや当初の意図など全く意味がなくなり、5月8日にタイトルも「LET IT BE」と変更され発売されるわけだ。映画も公開され「THE GET BACK SESSIONS」は一年半近く経ってようやく完結。同時にビートルズも終わった。

ところが此の作品に対して納得して居ない人物が居た。其のひとの名は「サー・ポール・マッカートニー」と云う。彼は長い間チャンスを伺って居た。「物語はまだ終わっていないのだ」と思い続けて居た。そして2003年11月「LET IT BE...NAKED」が発売された。レコーディングから35年近い時間が経過して居たが、ポールにはどうしても此の作品を完成させる「理由」があったのだろう。タイトルに反して内容は最新テクノロジーを駆使したリミックス盤だったけれど、ポールの意図は明確だった。

ポールが1968年12月に「THE GET BACK SESSIONS」を考案した「意図」とは「ビートルズの再生」であり、其の為に「原点回帰」が必要であり、其れを可能にする唯一の方法が「ライヴ・パフォーマンス」だったのだ。ポールは、どんな手段を講じても「1969年1月に再生したビートルズのライヴ」を作らなければならなかった。何故なら「1968年12月にジョンがダーティー・マックをやった」からだ。「そうじゃないんだ!君が居るのは其処ではなく、此処だ」と云いたかったのだろう。幾ら本人が否定しようが「THE GET BACK SESSIONS」でのポールの曲は、すべて「ジョンへのラヴ・レター」にしか聴こえない。「TWO OF US」「GET BACK」「LET IT BE」「THE LONG AND WINDING ROAD」「TEDDY BOY」「I'VE GOT A FEELING」と歌いかける先には、ジョン以外の誰がいるのか?

35年も賭けた執念は凄まじい。しかし最も聴いて欲しかったひとは、もう居なかった。


(小島藺子)



初出「COPY CONTROL」
 「GET BACK」(2004-12-6)
 「ONE BEFORE GET BACK」(2004-12-7)
 「KUM BACK ! JOHNNY」(2004-12-8)



posted by 栗 at 00:17| FAB4 | 更新情報をチェックする