w & m:LENNON / McCARTNEY
P:ジョージ・マーティン
E:ジェフ・エマリック
2E:リチャード・ラッシュ
録音:1967年2月23日(take 1-8、take 8 を編集し take 9)、
2月24日(take 9 に SI 「歌」、take 9 を編集し take 10-11)、
3月7日(take 11 に SI 「コーラス」)、
3月21日(take 11 に SI 「ピアノ」)
MONO MIX:1967年3月21日(take 11 より 1-15)
STEREO MIX:1967年4月7日(take 11 より 1-2)
1967年6月1日 英国アルバム発売 (「SGT. PEPPER'S LONELY HEART'S CLUB BAND」 B-3)
パーロフォン PMC 7027(モノ)、PCS 7027(ステレオ)
ポール・マッカートニーの作品。アルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEART'S CLUB BAND」はポール主導の作品だと云われますが、アナログのA面ではテーマ曲と中間の三連発、B面も中盤に二連発とクロージング・テーマと、確かにポールが主に書いた楽曲が配されています。其れまでのビートルズのアルバムでは「HELP !」あたりから「ジョン、ポール、たまにジョージ、一曲だけリンゴ」みたいに四人が交互に出て来る構成が基本でした。其れは、実演でも守られていた「暗黙の了解」です。
しかし、スタジオに篭った時期になり、初めてポールの曲ばかりが連なる事になったのです。当時のジョン・レノンはヨーコと出逢い益々わけわかんない方向へ進もうとしていました。ジョージ・ハリスンの才能も開花してきたもののポールの「可愛がり」で隅に追いやられています。そして、リンゴ・スターは相変わらず、何も考えていません。
ま、よーするに、ポールは結構「いい気になった」のです。前作「REVOLVER」で遂にジョンからお墨付きを得てしまったポールは、些か調子に乗ってしまいました。勝手にバンバン曲を書いてしまうのです。上り調子の時は凄いわけで、本当に面白い様に曲が書けたのです。其れは、ジョンがかつて体験した事ですし、僅か二年後にはジョージも体験します。1967年に、ポールはソングライターとしてのピークを迎えたのでしょう。
でもですね、此の楽曲は「完全無欠のポール節」なのだけど、ジョン・レノンと云う名の才気がしっかりと刻まれてもいるのです。そして、勿論ジョージ・ハリスンも、リンゴ・スターも、更にはジョージ・マーティンも、全ての息吹きが感じられる音像なのだよ。エマリック証言に在る様に、深いエコーがかかったレノン&ハリスンのコーラスや、此れまたジョン・レノンが発案したと思われる効果音などが、普通なら単純なポップスに収まってしまいそうなポール節を「意味深な何か」に変えました。
「俺が婦人警官がどーのこーのなんて莫迦げた曲を書くわけないだろ?」と語るジョンですが、ポールのそんな感性を誰よりも認めていました。だからこそ、ジョンはポールの曲を引き立たせるアイデアを導入するのです。1967年、未だ彼等はバンドでした。
(小島藺子)
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