w & m:LENNON / McCARTNEY
P:ジョージ・マーティン
E:ジェフ・エマリック
2E:フィル・マクドナルド
録音:1966年12月6日(take 1-2)、12月8日(take 2 に SI 「歌」)、
12月20日(take 2 に SI 「コーラス、ベル」、take 2 を編集し take 3-4)、
12月21日(take 4 に SI 「管楽器」)
MONO MIX:1966年12月21日(take 4 より 1-3)、29日(take 4 より 4-7)、30日(take 4 より 8)
STEREO MIX:1967年4月17日(take 4 より 1)
1967年6月1日 英国アルバム発売 (「SGT. PEPPER'S LONELY HEART'S CLUB BAND」 B-2)
パーロフォン PMC 7027(モノ)、PCS 7027(ステレオ)
ポール・マッカートニーが未だ十代中頃に書いた習作を引っぱり出して、ミドル8を書き加え、当時64才になった父親に捧げた詩を付けた楽曲です。旧作を焼き直すのはポールの得意技ですが、其れまでの苦肉の策では無く、1967年のポールは余裕の域にいました。データを御覧になって頂ければお分かりの通り、此の楽曲はアルバム「SGT. PEPPER'S LONELY HEART'S CLUB BAND」のセッションで最初期(1966年末)に録音されました。先行シングルを出さねばならない時期に完成していた楽曲のひとつだったのです。
結局、先行シングル化されアルバムには入らなかった「STRAWBERRY FIELDS FOREVER / PENNY LANE」と同様に、新アルバムの初期コンセプトだったと云われる「幼少時代を回顧する」とのテーマに沿って、ポールは此れをリメイクしたのでしょう。然し乍ら、其の楽曲アレンジは、当時のロック・バンドの作品とは掛け離れたヴォードヴィル調になりました。こうしたポールの振幅の広さはロック界に多大な影響を与えますが、ジョン・レノンは「つまんねぇ〜ナァ」と思っていたかもしれません。
「STRAWBERRY FIELDS FOREVER / PENNY LANE」がシングルになり、此の楽曲だけが残った時点で、ポールは「してやったり!」だったでしょう。そして、マーティンも、更にはエマリックも「にやり」だったと思われます。ジョンの最高傑作と呼んでも然るべき「STRAWBERRY FIELDS FOREVER」を先だしさせたのですからね。「WHEN I'M SIXTY-FOUR」からじゃ、ジョンはやる気がなくなっちゃいますよ。
1967年、ポール・マッカートニーは勝負に出ました。されど、其れは「ジョンを超える」では無かったのです。ポールは、只只、追い続けて来たジョンと並びたかっただけだったのです。ジョンはポールの成長を認めますが、其れでも何となく納得がゆかないポールの矛先は、永遠の弟分であるジョージへと向けられます。しかも、ジョンの興味はビートルズではなくなってゆくのです。ま、其れは、もう少し後のお話なのだ。
(小島藺子)
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