片瀬那奈が歌手活動に専念したのは公的な活動では、初実演の2002年11月から最後のフルサイズ実演を行った2004年7月までで、僅か壱年半強の短い期間でした。歌手時代をもう少し広く考えても、其れは「TELEPATHY」セッションが開始された2002年春からベスト盤が発売された2005年春までとなります。2002年初頭には未だ女優やグラビア活動も行っており2004年秋からは女優回帰しますので、片瀬那奈が丸一年間歌手に専念出来たのは2003年だけです。其の「第一期歌手時代」に関しては既に「片瀬那奈がきこえる」で詳しく全曲解説を行いましたので、そちらを参照して下さい。(尚、「片瀬那奈がきこえる」は「第一期歌手時代」の終幕で中断しておりますが、未だつづきがあります。)
2003年の世界で、片瀬那奈はコアなファンを除く一般人には「あの人は今?」と揶揄されておりました。ファンにとっては歌手になって其れまでとは比較にならない程に片瀬那奈本人と生で逢える機会が増えていたのですが、活動の場を何もかも変えてしまった片瀬那奈を世間が観る機会は逆に激減したのです。当時のTVレギュラーはBSの「真夜中の王国'03」のみ、CMも御馴染みだった「三代目きれいなおねえさん」は降板し、掲載誌もグラビアを卒業して「Ray」誌上で「Pieces of Rainbow」を連載していました。余りにも潔い方向転換です。毎月どころか毎週、いや毎日の様に那奈ちゃんに逢えていた2003年に、ガールフレンドから「未亜ちゃんが大好きなカタセさんって、最近ドラマに出ないけど、引退したの?」と真顔で云われたりもしました。
前述の通り片瀬那奈が2003年に演じたのは、あくまでも歌手活動のプロモーションとしてゲスト出演した「こちら本池上署 2ndシーズン」第2話のみです。其のひとときの夢を観た時に、2002年3月6日「プリティガール」最終回で女優・片瀬那奈は終ったのだと確認するしかありませんでした。こうなったら、思う存分に歌手活動を邁進してもらおうじゃまいかっ、と取り憑かれた様に現場に通う日々が続きます。そして、其の日々は輝いていました。
歌手として那奈ちゃんが僕たちの前に立ち続けた日々の記憶は、永遠に消えません。公式BBSに毎日の様に書き込みをして、出来得る限り現場に駆けつけ、多くの同志と知り合い夜通しで那奈ちゃん談義を交わし、うっかり「片瀬那奈全記録」を始める事になる「那奈ヲタ狂想時代」でした。片瀬那奈が歌手活動をしなかったなら、此処は絶対に存在していません。僕たちは、ステージで歌い踊る那奈ちゃんを全身全霊を賭けて愛しました。那奈ちゃんが「来てね!」と呼び掛ければ、僕たちは何処へでも駆けつけた。那奈ヲタにとって、最も甘く夢の様な時代でした。僕らの世界は、歌手・片瀬那奈を中心に回って居たのです。
嗚呼、其れなのに、翌2004年に再び片瀬那奈は僕たちに、「ジャイアント・スイングを炸裂」するのでした。
(小島藺子/姫川未亜)