Lyrics:kenko-p
Music:DAMON MEEKS AND BOB MENDELLSON
Arrangement:Sadahiro Nakano
Mix:Dave Ford
Programming:Sadahiro Nakano
Guitar:Tomoya Fukuchi
Chorus:Kumi Sasaki
品番:AVCD-17291/B、AVCD-17292(アルバム「TELEPATHY」09)
発売日:2003年6月25日(オリコン最高位17位)
「昔から聴いていた曲で、プロデューサーの恩田さんの趣味で80年代のアイドル・ユーロになった」と片瀬がにやにやしながら語った「The Wings」は、実演でも「ピンクのつなぎで歌のおねえさん」な格好で披露され、可愛らしい振り付けを老若男女で一緒に踊った想い出深い楽曲です。片瀬発言から「もしかしてカヴァー?」とも察せられますが、原曲を発見出来ず未だ真偽は不明です。
片瀬自身も「小さいコ達にも人気がある」と認識していた様に、片瀬楽曲の中でも最もアイドル歌謡を意識したツクリになっていますが、其のお手本は「ユーロビート」でした。「和製カイリー」と称された片瀬が素晴らしいのは、彼女が当時の「21世紀型・新生カイリー」の翻訳だけに留まらず、デビュー当時の「ユーロのアイドルだったカイリー」さえも取り込み、更には其の「ユーロのアイドルだったカイリー」の日本語カヴァーで日本で大衆性を得た「WINK」までカヴァーする「確かな歴史認識に基ずく芳醇な音楽観」を持って一貫した活動を行ったからです。ゆえに「和製カイリー」とは「揶揄」を超え、彼女の音楽を賞賛する代名詞になったのです。
新たな創造には、先達の遺産は不可欠です。如何なる芸術も、其れ以前の作品の上に成立しています。「盗作」とか「パクリ」なんて淋しい云い方しか出来ないのなら、其れは「過去の芸術」すらも全て否定する事にしかならないのです。確かに「犯罪的な盗用」も芸術には起こりえますが、例えばカイリーの「Love At First Sight」ベーシック・リズムパターンを意識して創られた「Babe」の様な楽曲を「盗作」とは呼べません。其れを云い出したなら「ブルースは全部ロバート・ジョンソンの盗作」とか「ロケンロールは全てチャック・ベリーの模倣」って話になってしまいます。「漫画で映画手法を用いたら、みんな手塚治虫のマネ」とか云われたら、もうお話になんないじゃん。そうじゃなくって、アトムを許可無しに使用して漫画を書いたら「盗用」なんですよ。浦沢クンの「プルートゥ」を「盗作」とは呼ばないざんしょ?其れは、原作って謳ってるからじゃなくって、「20世紀少年」には「手塚治虫」の名前なんて冠されてないけど「明らかな影響」は其のタイトル・ロゴだけからでも明白に分るけど「盗作」じゃないじゃん。「歴史観」が無い稚拙なガキじゃなきゃ「パクリ」とか云って笑えないんだよ。若造どもは、もっともっと沢山読んで聴いて観て、勉強してから発言しなさいね。カンラカラカラ。
「Babe」で御馴染みの「kenko-p」サンによる詩は、子供も口ずさんだ可愛らしい楽曲に反して「確信犯的なまでにもエロ歌詞」です。空を飛ぶ二羽の鳥に例えて歌われるのはズバリ云って「性愛」の「暗喩」ですが、最後には直接的に「触れあったその体温はぬくもりと呼ぼう」とまで云い切ってしまいます。此の楽曲は「性愛讃歌」なのですが、実際に其れが実演で披露された時に微塵もいやらしさは感じられなかった。かつて「LET'S GET IT ON」を世に問うた時にマーヴィン・ゲイは「SEXは美しく素晴らしい事なのだから、僕は堂々と其れを歌ったのだ。ちっとも恥ずかしい事なんかじゃない」と高らかに宣言しました。そんな歴史的事実を知ってか知らずか、片瀬は同じ道を歩んだのです。
「Babe」から始まったアッパー系四曲の最後を飾る「The Wings」のエンディングはコーラスとの掛け合いで大いに盛り上がりますが、フェイドアウトせずに静かに着地して途切れます。其れは次曲「Teardrops」のイントロへと絶妙に繋がります。アルバムは、未だ終っていません。
(小島藺子)