Lyrics:NANA KATASE
Music:Hirofumi Asamoto
Arrangement:Hirofumi Asamoto
Mix:Kenichi Yoshimura
Programming & Keyboards:Hirofumi Asamoto
Guitar:Kenji Akabane(ZEPPET STORE)
Chorus:Junko Hirotani
品番:AVCD-17291/B、AVCD-17292(アルバム「TELEPATHY」04)
発売日:2003年6月25日(オリコン最高位17位)
四曲目に収録された「Deep Forest」はアルバムの為の新曲ですが、前後4曲に陣取る先行シングルをも凌駕する「隠し玉」でした。発売当時、僕の多くの音楽仲間は「未亜ちゃんがアイドル那奈ちゃんに夢中になって暴走してる」と断じました。「片瀬那奈ちゃんは可愛いけど、所詮はアイドルの歌手ゴッコなんでしょ?」と小馬鹿にする「那奈ちゃん世代の友人たち」に、「でもさ、朝本さんも参加してるんだよ。ま、朝本さんは広末のプロデュースもやったし、ほら、林檎ちゃんも曲を書いてたじゃん」などと云うと「ええっ?何で?」と少しは食い付いてくれたものでした。
「アーティスト>アイドル」との「間違った認識」に落ち入るのは、「マニアックな音楽好き」が若い頃に通る寄り道のひとつです。自分が好きなアーティストは「洋楽と同等の格上の存在」で在って、決して「アイドル」なんかとは違うのだ!と根拠の無い「通好みを気取る意識」に貧弱な知識以前の狭い個人的な嗜好性のみを信じてしまうのです。特に「CD世代」となってからの若い音楽ファンと話すと、其の余りの歴史認識の欠如に愕然とします。当時、椎名林檎ちゃんのファン・サイトに常駐して居た僕は、二十代前半の林檎ちゃん大好きな男の子が「オレはビートルズはロックじゃないから大嫌いだけど、レッド・ツェッペリンはロックだから好きで聴いている」と恥ずかし過ぎる発言を平気で宣った時に呆れ返ってしまいました。そんな視野が狭過ぎる感性の片には、最早「おまえは、其れでも椎名林檎ちゃんファンか?何で林檎ちゃんは林檎ちゃんって源氏名なのよさ?亀ちゃんは誰が好きでベースを弾いてんのよさ?」と小一時間問い詰める気すら起きませんでした。
確かに「音楽は知識では無い」のですけど、だからって「無知をひけらかして暴言を吐く」のが許されて好いとはならないのです。大瀧師匠がかつて吐き捨てた通りに「せめてエルヴィスとビートルズくらいは聴いてない人と、僕は音楽の話なんか出来ないよ」なんです。「朝本が新曲を書いて編曲し演奏もして全面的に制作した楽曲も、片瀬那奈のアルバムには収録されているんだよ」と話した時に「通ぶった若者たち」が驚愕したのは「何故?UA と片瀬如きが同じ立ち位置に居るわけ?」との素朴過ぎる疑問からだったのです。
僕らは皆、最初に音楽を好きになった時の純粋な気持ちから離れてゆく。気が付けば「自分が好きな音楽こそが格上なのだ」との呪縛にハマってしまうのです。でも、そんな莫迦な話は無いんだ。僕が「月刊・未亜」や「COPY CONTROL」時代から繰り返し語って来たのは「音楽に貴賤無し!」って事です。片瀬だってクラシックだってビートルズだって、全部おんなじだ。全ては「芸術」に過ぎません。只の「虚構」なのです。絵空事なのよさ。そんなもんはさ、生きてゆくのに本来なら必要不可欠なモンじゃないじゃん。衣食住とは違うでしょ?でもさ、僕は子供の頃から「現実」よりも「虚構」を愛したんです。衣食住を犠牲にしてもレコードを買ったんです。だから、そんな下らない「虚構」にまで序列をつけてしまう世界が苦手なのよさ。そんな僕が到った結論が「此の世界は数式だ」だったのです。歴史すらも、何もかも「理にかなった事」だった。少なくとも、人間がやらかした事なんて、全部、理論化出来るのです。僕はずっと「数式」を書いているんだよ。
さて、肝心の「Deep Forest」ですが、片瀬本人も語る様に「朝本さんの曲だから」との大前提が片瀬サイドにも在りました。「コレは、すってんころりんと下手なんか転けませんよっ!」と気合いも入って、アルバムでも前半の大きな山場を演出する名曲になりました。前述の通り、片瀬自身が書いた詩はアルバムのメイン・テーマで在る「TELEPATHY」をより深化させた世界です。片瀬が曲を聴き「幻想的」と感じた音世界は、アルバム制作と同時期に屋久島で撮影された写真集「N」とも連動し、後の実演では屋久島での映像を使った「Deep Forest」のPVまで制作し公開され、其の映像は後に映像版「Reloaded」にも収録されています。此の楽曲は完全なる「朝本作品」ですが、其の世界観は見事にアルバムの一部として成立しています。ミックスも別なのに、全く浮いていません。ハッキリ云ってしまえば「片瀬は朝本を自分のフィールドに取り込んでしまった」のです。片瀬による詩と歌唱を例えば「UA」に置き換えれば、此の楽曲はそのまんま「UA」の当時の楽曲と何ら変わらない「朝本ワールド」なのです。其れは「UA」のレコードを愛聴し実演にも何度も参加しているあたくしだから云える「厳然とした事実」です。つまり片瀬那奈は「UA と同等の個性的な音楽家」なのです。何故なら、おんなじ制作者による楽曲をそれぞれの色に変えてしまったのですからね。
「そんなバナナ!UAちゃんとナナちゃんがおんなじなわけないじゃん!!ムキーっ!!」と「UA派女子」が喚こうが、「うーあ?シラね。那奈ちゃんと一緒にするなよ、ボケ」と「那奈ヲタ男子」が吐き捨て様とも構いません。其れは「個人の嗜好性」に過ぎない「世迷い言」で、何の説得力も無いのです。あたくしは「片瀬」も「UA」も好きで実際に観て聴いて「公平な立場」で云っているのだよ。物事を語りたければ「経験」と「実践」は不可欠です。僕が片瀬那奈の言動を信頼するのは、例えば彼女がかつて青うにょ師匠に「片瀬が好きなテクノのルーツだから」と一緒にクラフトワークの実演に行き、「確かにあたしが目指す音楽を始めた人たちなんだろうけど、あたしには面白くなかった」と語ったからです。片瀬は、闇雲にルーツを否定したりしません。ちゃんと聴いてから判断するんです。僕も大いに見習っておりますよ、片瀬師匠。
片瀬那奈のデビュー・アルバム「TELEPATHY」は、次曲「Shine」で前半のクライマックスへと至ります。此処で「A面」とする5曲目までが、まるで組曲の様に連なって大きな世界を形成しています。更に結論を急げば、続く「Babe」から始まる「B面」も、ボーナス・トラック2曲をも含む全13曲が「組曲」として成立しているのです。其れを支えるのは「Shine」と云う名曲の存在です。
では、次回は更にまた「Shine」を大いに再評価しましょう。「また見てね、チャオ☆」(中山千夏声で)
(小島藺子/姫川未亜)