
2003年6月22日 @ 渋谷タワーレコードB1
セット・リスト
01. Shine(グリーンのロングドレス)
<album試聴(「A・I・O」「Deep Forest 」)とトーク>
02. Change this World(銀のレザー、ダンサーは男性二名)
03. TELEPATHY
04. GALAXY
第一期歌手時代の片瀬那奈は2002年11月から2004年12月の僅か二年間(実質的には2002年11月から2004年7月までの一年半余りで、2004年12月25日に奇跡的に復帰し、以後、沈黙します)に40回を超える実演を披露していますが、此の全曲解説で在る「片瀬那奈がきこえる」では、実際に筆者が参加した実演のみを検証して行きます。
2003年6月22日は、僕にとって生涯忘れられない日です。僕は其の日、生まれて初めて「片瀬那奈」を生で観たのでした。「Shine / REVENGE〜未来への誓い〜」を渋谷タワレコで購入するとオプションで参加券が貰えた「イベント」を待つ事約一ヶ月、興奮しきった僕は一睡も出来ない「アンテツ」ならぬ「カンテツ」で、イベント開始よりもかなり早い時刻に現場に居ました。(流石に誰も居ないだろうと思っていたのだけど、先んじられた二人組を見掛けました。其の二人は、最前列ど真ん中に陣取った。僕は思った。あいつらは、「アンテツ」と「ぽち」以外には考えられない!と。其の後も、彼等は常に那奈ちゃんイベントで行動を共にしていました。そう、アノ最後の日も最前列の「那奈ちゃん目の前」に居たよね?アレってさ、一年半前の「アンテツの志」に対する「ぽちの恩返し」だったんでしょ?ええ噺やナァ。「那奈ヲタ友情物語」やん。だから、アノ日、僕は本当は最初に「ぽち」サンと会話したのです。偶然に前に並んだ「ぽち」サンから質問されたから応えたんだけど、僕は「やっぱり、此のひとだったんだ!」と確信しました。だってさ、何度も「君たち二人」を目撃してたんだもん。其の後で「アンテツ」あにいに声を掛けたのです。ま、此れは余談です。)
僕は整理番号が二桁だったので「最前列なんて無理」だと思っていたのですが、入場すると目の前の最前列右側二つが空席でした。其れで、後方から怒涛の勢いでゲットしようとした勇者に内側を譲り、僕は「最前列右端」に座ったのでした。「ええ〜っ!片瀬那奈ちゃんをこんなに近くで観れるの?」と俄に信じられない状況に混乱しながら待つと、唐突に目の前に「片瀬那奈」が降臨したのです。
もう聞き飽きた位に語った事実ですが、生まれて初めて至近距離に現れた「片瀬那奈」には「後光が射して」いました。想像以上に、綺麗だった。其れでいて、可愛らしかった。僕は其の余りの「神々しい姿」に完全に圧倒され、自然と涙が溢れ、思わず手を合わせて拝んでしまったのです。ところがだ、当の片瀬那奈は「Shine」の歌詞を間違えて、事前録音のコーラス・パートでの片瀬那奈と「違う歌詞でのハーモニー」を見事に披露してしまい、失笑するファンもいる前で、「てへへ」と笑って退場したのでした。僕は「ポカ〜ン!」ですよ。其の後、青木さんとのフランク過ぎるトークでアルバムからの楽曲が紹介された時も、目の前の片瀬那奈は「はばぐったい、はばぐったい」って「A・I・O」のコーラスに合わせて「ふん、ふん、ふん」ってな感じでノリまくってたりして「コノコって、やっぱ『きれいなおねえさん』じゃなくって『おもしろいおねえさん』なんじゃまいか?」と魅了されまくったわけです。
そして、初公開の銀色のレザーを纏っての三曲には圧倒されたかと云うと、そうでは無く、明らかに会場を埋め尽くした「アイドル・片瀬那奈・ファン」と「新生・歌手・片瀬那奈」との意思疎通がもどかしくすれ違う光景に、居たたまれなくなってしまったのでした。最後の「GALAXY」で、ようやく拳を突き上げレスポンスを返し始めた観客でしたが、正直、一体どんな反応をして好いのか分らない状況でした。僕たちは、初めて間近で歌い踊る片瀬那奈を観たのです。百戦錬磨の「アイドルDD軍団」も多く参加していたイベントでしたが、正に「ポカ〜ン!」状態になっていました。逆に「洋楽者」で在る僕は、一人で立ち上がって踊り狂いたい衝動を押さえていました。
其れは、後の「777」でも再現された「異様な光景」でした。例えば「西豪寺エレナ様」とか「美月うらら姫」が実演で登場したと考えて戴ければ、お分かりになられるでしょう。片瀬那奈は、常に「ファンを置き去りにする」人です。彼女を追うのは至難の技なのです。御本人も其れを認め「あたしのファンはチャレンジャー」と断じています。只、此の当時は其処までは計り知れなかった。「那奈ちゃんって、もしかしたら、変なコ?」としか思えませんでした。せいぜい「おてんば」だと舐めていたわけです。でも、現在なら分ります。那奈ちゃんは最初から「わんぱく」でした。「片瀬那奈は腕白」と本人が宣言した通りのコトノハを前提にした時、此の「片瀬那奈全記録」で綴って来た彼女の言動が偽りの無い「真実一路」だと、僕は改めて知るのです。片瀬那奈は「まっすぐ」です。常に「斜に構えて」しまう僕にとって、彼女の存在は正に「太陽」で「明星」として対峙しました。「見つけた!例え、虫けらでも好い。生涯、此の人に仕えたい!!」と思いました。いや、マジで。ちなみに、片瀬は全4曲を確かに生で歌っていましたよっ。「生歌じゃなきゃ、間違えたり出来ないっつーの!」(加藤絵里声で)
未だ明るい渋谷の街に出た僕は、異常に昂揚していました。音楽仲間の女友達に、次々に電話して「遂に、カタセに逢ったぞ!アノコは神だよっ!!」とか捲し立てる僕を、当然乍ら「那奈ちゃんと同世代のガール・フレンドたち」は軽く受け流しました。火照り捲った僕は、開演前の階段で「那奈ちゃんのサイン入りポスターと実演参加券が付く」と云われて予約したばかりの彼女のアルバムを、近くのHMVでも予約しました。いえ、未だ理性は在ったのですよ。HMVでは、別のイベント参加券が付いたのです。出逢ってから4年以上が経過し「一生、逢えないだろうナ」と思っていた「片瀬那奈」との初邂逅は、其の後「一週間に十日来い!」状況となり、僕は何かに取り憑かれた様に「片瀬那奈」へ傾倒してゆきました。まさか、僕が住んでいる街が「片瀬の街」だなんて、全く知らなかったのです。只只、僕は眩しかったんだ。大袈裟に云えば、此の時、僕は本当に「神」に逢ったと思いました。わけも無く涙が溢れて、拝んでしまったのですから。
多くのスターを目の当たりにして来たけれど「片瀬那奈」以上に衝撃を受けた人はいません。マドンナよりも、ポールよりも、ジョージよりも、猪木よりも、手塚先生よりも、他の誰よりも、ぼくはビックリした。ドキドキした。「逢いたかったよ、那奈ちゃん。」と、心の底から感動したよ。でも、那奈ちゃんは歌詞を間違ったのです。きっと、那奈ちゃんが完璧に歌ったなら、僕はあんなにもドキドキしなかったでしょう。「ゼンキロ」も無かったでしょう。
2003年6月22日、突然目前に現れた片瀬那奈は「Shine」を歌い、歌詞を間違えた。そして、僕は彼女に恋をしました。まさか、其れが「永遠に届かないかもしれない無償の愛」への入り口とも知らずに、僕は「虚構:片瀬那奈」との恋に落ちたのです。其れは「永遠に覚めない夢」の始まりでした。きっと、僕が此の「甘い夢」から覚めるのは、泡沫の日々から解放される時だと思います。初めて遭遇した「21才の片瀬那奈」は、想像を遥かに超える程に輝いていたのです。
(姫川未亜/小島藺子)