Lyrics:NANA KATASE
Music:Patric Johansson & Linus Norden
Arrangement:YASUO KIMOTO
Mix:Dave Ford
品番:AVCD-30408
発売日:2002年12月4日
前述の片瀬那奈にとって唯一のアナログ盤(プロモ盤のみ発表)のタイトル・チューンで、後に発表される第一期歌手時代唯一のオリジナル・フル・アルバムのタイトルともなった「音楽人:片瀬那奈」にとって最重要楽曲のひとつが此の「TELEPATHY」です。音源的にはプロモ・アナログ盤と同じですが、一般的には此のCCCD盤で初公開されましたし、あたくしの耳では「アナログとCCCDがおんなじには聴こえません」ので、別項で紹介します。(後に「Reloaded」で此の楽曲も含む全シングル曲が目出度く初CD化されますが、当然乍ら其れらもCCCD音源とは「別作品」として取り上げます。)
作詞も片瀬本人が担当し、其の内容が「親友・内山理名と二人で広島へ行った時の経験から書かれた」事も明かされていますし、後に登場する1st アルバム収録の「Deep Forest」と云う続編まで存在する「作詞家:片瀬那奈」にとっても思い入れが深いテーマを込めた作品です。また「歌手・片瀬」のキャッチ・コピーとして多用された「テレパシー・ヴォイス」と云う「ひとり三人娘:トリプル・トラック」での斬新なヴォーカル・スタイルにも、此の「TELEPATHY」が冠されています。更に云えば、後にスタッフ側の要請で原曲を知らないのにカヴァーした「禁断のテレパシー」も、此の楽曲からのタイトル繋がりだったのでは?と推測されるのです。
デビュー・シングルは前代未聞の「三面A面」と云う異次元作品として発表され、其のタイトルは『GALAXY / TELEPATHY / FANTASY』と韻を踏んでいますが、其れがまず「TELEPATHY」ありきで他の二曲のタイトルを決めたとも考えられます。何故なら「GALAXY」は前述の通りカヴァーで、オリジナルは「Dangerous To Me」と云う題名ですし、「FANTASY」はアニメ主題歌ですが其の「ヒカルの碁」と直接的には関係の無いタイトルになっていて、其の作詞も片瀬が担当しているからです。片瀬の構想として、最初に「TELEPATHY」が在ったと考えるのが自然でしょう。「片瀬那奈の音楽」を象徴するコトノハとして、「TELEPATHY」は在ります。
楽曲も其のプロモ映像も、赤ら様にカイリー・ミノーグを過剰に意識したモノとなっています。多くの洋楽好きサンは「おいおい、片瀬ってきれいなおねえさんのCMに出てるコがやってるのって、カイリーのパクリじゃん!」と嗤いました。でも、おんなじ洋楽者でしかも片瀬のファンでも在るあたくしは「何故、こんなにも分りやすく模倣したのだ?」と思ったのです。つまり「片瀬は敢えてカイリーの翻訳を仕掛けた」と考えました。そうでなければ、此処までの類似は逆に「変」です。カイリーは当時世界的に復活大ブレイク中で、「Can't get you out of my head」は少しでも洋楽が好きな方々なら誰もが知っている大ヒット曲でした。其れに、此の楽曲は決してカイリーだけを模倣した作品ではなかった。其処には、当時最新の電子音楽の要素が鏤められていて、しかも歌謡曲として通用する日本的な大衆性も在ったのです。更に次作の「Babe」でも、再び片瀬はカイリーの「Love At First Sight」を完全に模倣します。其れは「確信犯」的な事でした。
シングル発売に先駆けて2002年11月22日に、今は亡き「聖地・六本木velfarre」にサプライズ・ゲストとして登場した片瀬は男性バック・ダンサーを従えて真っ赤なレザー姿で「踊り乍ら歌った」のでした。アノ片瀬が踊り歌う!ビジュアル的に日本では前代未聞の光景が展開され、其の楽曲も其れまでの歌謡史には存在しなかった音楽だったのです。未だメジャー化していなかった「歌謡ハウス」を、モデル出身のスタイル抜群で脚長のきれいなおねえさんが、流石は高校時代にダンス部でプライベートでも現役でクラブに通うだけ在る見事なダンスを披露しながら歌ったのです。其の衝撃度はハンパじゃなかった。はっきり云えば、多くの人は「何が何だか分らなかった」のです。クラブ通は「何故?那奈ちゃんが出て来たの?」だし、洋楽ファンは「デルモ上がりが何やってんだ?」です。そして、肝心の片瀬ファンが最も困惑しました。
片瀬がコアな洋楽ファンで、特にハウス、もっと云えば「プログレ・ハウス」と称されていたジャンルに詳しく、自宅でCDJやターンテーブルを駆使しリミックスしていたりCDを数千枚も所有していると云う情報は、インタビュー等で語られており古参ファンにとっては衆知の事実でした。其れでも、実際に片瀬がどれほどまでに真摯に音楽活動をするのか?は未知でした。
流石に、片瀬那奈と云う不出世の存在に10余年も付き合った2009年の現在なら「那奈ちゃんなら、何をやらかしても驚かないですよ」と云えるのですが、当時の僕らは「水着キャンギャルでモデルでグラビア・アイドルでアイドル女優でCMアイドル」って、つまり「片瀬那奈=アイドル」として認識していました。勿論、現在でも「僕らの最高のアイドルとして片瀬那奈は燦然と輝き君臨」していますが、当時の其れは「普通のアイドル」でした。「片瀬那奈が歌手になる」とは認識していなかった。僕らは「アイドルの那奈ちゃんが、今度は歌も歌ってくれる」と甘い夢をみていました。そして踏み入れたクラブで、僕らは驚愕し困惑したのです。「ええっ?那奈ちゃん、マジなの?」と漸く気付いて、離れて行ったファンも多かった。其れでも、やっぱり「那奈ちゃんを追いかけよう!」って決めた奴らがいたわけです。自然と、そいつらは集った。其のひとりが、僕さ。其れで、まわりに煽てられ、こっそり書いていた記録を公にしたわけさ。其れが、此処の始まりです。だから、此処を作ったのは決して僕だけじゃないんだよ。
そして、やはり現在でも「TELEPATHY」は名曲です。いや、時を経た今の方がより高く評価されているのです。片瀬の此の挑戦がなければ、日本の歌謡史は確実に違っていました。其れは、此の楽曲が世に出て早那奈年を経た現在の歌謡シーンを見ればお分かりでしょう。今や片瀬は「先駆者」として讃えられています。例え発表時に正当に評価されなくとも、優れた作品の眞なる評価は歴史が決めてくれます。其れはクラシック音楽時代からの、いや、あらゆる芸術が辿った道なのです。片瀬が信じて貫いた音楽革命は、確かに成功しました。今こそ、片瀬の時代です。さあ、高らかに歌えっ!片瀬那奈。世界が、君の音楽を待っているよ。
(小島藺子/姫川未亜)