「the diary of nana katase(片瀬那奈全記録)」は、元々は僕の個人ブログだった「COPY CONTROL(空想音楽)」のカテゴリ「NANA」から派生したものでした。いつの間にか「ゼンキロ」の方がメジャーになり「コピコン」でよりコアな記事を書いても其れは「付録」みたいになってしまい、結局は本家で在る「COPY CONTROL」を呑み込んで「the diary of nana katase / NEO COPY CONTROL(片瀬那奈全記録)」となりました。此の連載も、当初は「コピコン」で始めたのですが、結局「ゼンキロ」へ呑み込まれてしまったのです。
10年前にはゴリゴリの「洋楽者&プロレス者」と認知されていた僕が「片瀬那奈ちゃん」へと傾倒し今や彼女を「御本尊様」と呼び「人生の師」と仰ぐまでになったのは、彼女が2002年に順風満帆に進んでいた女優業を完全休業して歌手に転向したからです。其れによって直接お逢いする機会が増え、他の「一寸気になるアイドル」とは「完全に別格の存在」になって行きました。其れは、実際に逢った片瀬那奈ちゃんが想像を超えた存在だったからです。彼女は、まるで友達に接する様に僕たちと向き合いました。余りにも無垢で真摯に僕たちと話してくれたのです。そして、彼女の理想を知りました。彼女に出逢って、僕は再生しました。「何故、片瀬那奈なの?」と批難されても、僕は平気になりました。片瀬那奈ちゃんこそが求めていた存在だと、確かに解ってしまったのです。
最初に逢った時(2003年6月22日)幸運にも最前列にいた僕の目前に、片瀬那奈ちゃんは前ぶれも無く突然降臨し「Shine」を歌いました。眩しかった。自然と涙が溢れました。イベント終了後、異常に昂揚した僕は音楽仲間に電話を掛けまくった。でも、みんな「未亜ちゃん、大好きな那奈ちゃんに逢えて好かったね、はいはい」って受け流したんだ。「違う、そうぢゃないんだっ。僕は辿り着いたんだよ、見つけちゃったんだよっ!」って云っても、みんな笑うだけでした。
でも、もう僕は迷わなかった。其れからは出来る限り「歌手・片瀬那奈」を追いました。ひとりぽっちで追っかけている内に、自然と仲間も出来ました。毎日みたいに那奈ちゃんに逢えた「夢の様な日々」でした。そして、公の場で最後に歌手として登場した時(2004年12月25日)も、片瀬那奈ちゃんはバンド演奏で「Shine」を歌ったのです。其の時は、メインだった星村麻衣ちゃんのバンドを従えての完全なる生歌でした。其の後、狭いライヴハウスの店内で彼女と鉢合わせし(あんなに近くで那奈ちゃんを観たのは、流石に初めてでした)さらに見送りでフランクすぎる対応を受け、僕は「ゼンキロ」を立ち上げる決意を固めたのでした。
「歌手・片瀬那奈」も「DJ:NANA」も、未だ終わってはいません。現在、女優業やプロデュース業が順調で、音楽まで手が廻らない状況ですが、気心の知れた仲間内では「音楽活動」も続けています。一曲限定ながら2008年には待望の歌手復帰も果たしました。此の最終章では、来るべき本格的な音楽活動再開へ向けて、此れまで片瀬那奈ちゃんが公表した音源を振り返って行きます。
片瀬那奈ちゃんは「シングルを6枚アルバムを3枚の計9枚発表した」と公言していますが、少しでも「片瀬那奈音源」に興味を持った片なら「9枚?冗談でしょ。」となります。現に僕は片瀬那奈ちゃんの別音源商品を50種類以上は所有していますし、ジャケット違い等も含めれば軽く100枚を超えていますが、其れでもコンプリートでは無いのです。此れからじっくりと「片瀬音源の謎」を紐解いて行きますので、ごゆっくりとお楽しみ下さいませ。
そして、ようやく最終章に辿り着きましたので、ひとこと云わせて下さいね。此の拙い「夢見る歌謡曲」と云う文章を、本日(8/14)お誕生日を迎えられた小島サンに捧げます。おそらく、那奈ちゃんよりも貴方へ向けて、僕は此の連載を書いています。いつも優しくして下さって、本当に有難うございます。僕たち那奈ちゃんファンは、那奈ちゃんに対する気持ちとおんなじ位に、貴方を心から愛しています。
(姫川未亜/小島藺子)
初出「LISTEN NOW ! 片瀬那奈が聞こえる」2007年9月7日を全面改稿
RE-MIX:小島藺子
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