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2009年07月10日

FAB4-088:WE CAN WORK IT OUT(恋を抱きしめよう)

涙を届けて Motown Meets the Beatles


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス(1965年)、ピーター・ボーン(1966年)
 2E:ケン・スコット('65-10/20、28、29、11/10)、グレアム・カークビー('66-11/10)
 録音:1965年10月20日(take 2)
 MONO MIX:1965年10月28日(1)、10月29日(2、3)
 STEREO MIX:1965年11月10日(1)、1966年11月10日(2)

 1965年12月3日 シングル発売(最高位英米1位)
 パーロフォン R 5389(モノ)


ビートルズ史上、初の両A面シングルの片面で、正真正銘のレノン・マッカートニーによる合作。本国以外の米日などでは、未だ其の画期的な両A面と言う概念が無く、「WE CAN WORK IT OUT(恋を抱きしめよう)」がA面で「DAY TRIPPER」はB面となりましたが、当然乍ら両面共に世界中で大ヒットしました。「DAY TRIPPER」同様に、次回から始まるアルバム「RUBBER SOUL」のセッションで録音され、アルバムと同日に発売されたシングル曲ですが、慣例通りに英国オリジナル・アルバムには両A面共に未収録で、アルバム「RUBBER SOUL」からは本国では壱曲たりともシングル・カットはされませんでした。1966年度グラミー賞で「SONG OF THE YEAR」を獲得した「MICHELLE」ですら、彼等はシングル化を拒みました。

元々はポールが書いた作品です。海賊盤で容易に聴けるデモ音源では、ジョンが書き加えた中間部(所謂ひとつのミドル・エイト)が無いアコースティックな小品となっております。其れは同時期の「MICHELLE」にも云える事で「ポールが骨組みを書いたお姉ちゃんを想う軽く明るい作品に、ジョンが苦みを加える合作法」が1965年後期には行われていました。此のカタチは解散状態になる1969年まで続きます。

1965年に覚醒したポールは、ぞくぞくと簡単に名曲を量産する様になります。然し乍ら、其れはジョンの協力が必須でした。其の典型的な例が、此の愛すべき名曲です。ポールが書いた甘くアイリッシュな小品(内容は当時の恋人ジェーン・アッシャーに関するアレコレ)に、ジョンが強烈なアンチテーゼを加えます。「最近、映画の撮影でジェーンが帰って来なくてつまんないんだけど、ま、上手く行くはずさ」と天然バカボンぶり全開で歌うポールに対し、ジョンが「おいおい、人生は短いんだぜ。お姉ちゃんの事しか考えらんないのかよ?しっかりしろよ、仕事しろよ、兄弟。」と返し、更には愛しのジョージ・ハリスンの抜群のアイディアでワルツに転換する中間部が、此の楽曲を凡庸な流行歌からスタンダードへと変えました。此の「DAY TRIPPER / WE CAN WORK IT OUT(恋を抱きしめよう)」と云う両A面シングルは、正に、ビートルズの才能溢れる三人衆(ジョン、ポール、ジョージ)が一丸となって居た時代の「楽団による合作」です。ん?リンゴは何やってたのかって?「I FEEL FINE」プロモみたいに、自転車でも漕いでいたんじゃまいか。

此の時代、彼等もモータウンから多大なる影響を受けましたが、其れは相互作用でした。スティーヴィー・ワンダーによるカヴァー(1970年)は全米13位のヒットとなります。スティーヴィーは其れ以前にも「MICHELLE」に触発され名曲「MY CHERIE AMOUR(1967年)」を書きました。ちなみに、スティーヴィーはジョン・レノン&ポール・マッカートニーの両名と正式音源でデュエットした事が在り、海賊盤音源では「1970年代の解散状態だった時期のレノン・マッカートニーとのセッション」まで遺っている「稀有な存在」でも在ります。流石は「音楽神:スティーヴィー・ワンダー」、其の辺は絶対に外しません。確かにビートルズはモータウンから多大なる影響を受けましたが、其れはお互い様でした。音楽は、すべて繋がっているのです。


(小島藺子/鳴海ルナ)



posted by 栗 at 00:15| FAB4 | 更新情報をチェックする