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2009年06月25日

FAB4-085:YESTERDAY

Live in Las Vegas Yesterday_EP.jpg


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:フィル・マクドナルド
 録音:1965年6月14日(take 2)
 MONO MIX:1965年6月17日(1 & 2)
 STEREO MIX:1965年6月18日

 1965年8月6日 アルバム発売 (「HELP !」 B-6)
 パーロフォン PMC 1255(モノ)、PCS 3071(ステレオ)


「イエスタデイでしょ?あたし好きだな」
(未来ちゃん、いやさ片瀬那奈ちゃん声で)です。


日本の音楽の教科書にも載りました。いえ、世界で最もカヴァーされた楽曲でもあります。「ビートルズと云えば、イエスタデイ」ってなもんやです。名曲です。作者のポールは、在ろう事か「貴方の最高傑作は?」と訊かれ、自信満々に「そりゃ、チミ、イエスタデイに決まりだもん!」って応えちゃいます。ジョン・レノンが殺された時にも、此の曲が日本のテレビでは流されました。ジョンが生きていた頃だって「あらま、ビートルズのレノン様じゃありませんか、じゃあ貴方の曲を演奏しますわ」なんて云われて各国で此れを聴かされました。ジョンは「あのさ、其れはポールの曲じゃん!」と毒づきながらも「う〜む、やっぱ、名曲だナァ」と相棒の傑作を讃えたのです。

あたくしも、最初に彼等のアルバムを買う時に「イエスタデイ」が入っているってのが基準でした。其れで「オールディーズ」を買ってしまったのです。だって、赤盤は二枚組で高かったし、「ヘルプ」は14曲入りで「オールディーズ」は16曲入りだったのですよ。しかも、何故か「オールディーズ」の方が安かったんです。想い出も、思い入れもあります。其れで反則なんですけど、かつて(2002年)に書いた文章を再録してしまいます。


「日本人の為のビートルズ講座 (連載2発目)」

<Yesterdayを知っていますか?>

ザ・ビートルズの楽曲で一番有名な「YESTERDAY」は、何故か語られる機会が少ない様に感じられる。マニアは勿論、少し噛ったファンですら、一番好きな曲なんて事は云わない。捻くれた人は「夢の人」(同じアルバムに収録されたポールの作品で、YESTERDAY の前に入ってる曲)の方が名曲だと云う始末。彼等を知れば知る程、誰もが知ってる曲の事など語りたく無い気持ちは理解出来るし、私自身もかつては敢えて無視していた曲だった。

まず、これはビートルズの曲とは云えないんじゃないか?ってのがある。作ったのも録音に参加したのもポールだけで、他に関わったのは編曲とプロデュースのジョージ・マーティンと弦楽四重奏の外部ミュージシャンだけ、つまり「ポールのソロ」ではないのか?現在でも、ポールとヨーコの間で論議されているらしいが、クレジット上はジョンの名前もあるけど、いいじゃないかヨーコ、返してあげなさいよ。しかし、待てよ。1965年当時ポールはビートルズのメンバーだったし、レノン・マッカートニーと云うソングライター・チームの一員だったのだ。

ジョンが単独で作り、録音した「JULIA」と云うビートルズ作品がある。ところが「アンソロジー3」に収録されたアウトテイクを聴くと、ポールが録音に立ち会っていた事が解るのだ。一人でレコーディングしているジョンと、彼をコントロール・ルームからみつめアドバイスするポールとの会話が最後に収録されているのだけど、映像が浮かぶほどに感動的だ。二人が既に不仲と云われていた後期ですらこうした関係だったのだから、「YESTERDAY」の頃ならもっと密接な関わりがあっただろう。ジョンへの追悼曲「HERE TODAY」を聴けば、ポールの真意は解るはずだ。そしてポールは、自分の最高傑作を「YESTERDAY」と公言するサイコー!な天然パーである。普通、絶対、思っていても云わない。でも、ポールは云うよ。あの人が普通なわけないでしょ?

私も最初に好きになったのは「YESTERDAY」だったのだ、でも、すぐに「ジョンの魂」を聴いてしまい、敢えてポールの甘い曲は無視する様になった。元々、カーペンターズみたいなポップスが好きだったのに、ロックの人になりたかったわけだ。若い頃とは、ある意味本質を捩曲げる時期でもあるわけで、甘いポップス(実は苦くもある!)を好きだと云えるまでは、結構廻り道したな。

1990年のポール・マッカートニー初来日公演は、とにかく全曲一緒に歌うんだと決めていた。私にとって、それはひとつの決着になるはずだった。ソロもウイングスもリアルタイムで聴いて来たんだし、後追いだけどビートルズこそが命だ!!そうだ、今日はビートルズのコンサートに来たんだ!!そんな気持ちだった。「HEY JUDE」の大合唱直後には「ありがとうございました!!」と絶叫するほどに高揚していた私が、棒立ちになり歌えなかった曲があった。「LET IT BE」が最初だった。まるで天国から奏でられている様だった。声にならない、歌えない。そして、ポールは一人であの曲を歌った。「YESTERDAY」 私は、あんなに美しい音楽を聴いた事はなかったし、きっとこれからもないだろう。確かに決着は着いた。超有名曲は超名曲だし、子供の時の感動は正しいのだと解ったのだ。それから私は、恥ずかしいからと聴かなくなっていた音楽も再び聴く様になった。どれもが素晴らしく、若さ故の過ちを恥じたものだ。

さて、現在は音楽の教科書にも載っている「YESTERDAY」だが、発表された当時はかなり問題作だったのではないか?ロック・バンドが生ギターと弦楽四重奏だけで歌うなんて奇想天外なアイディアは、この曲が最初だったし、メンバー一人しか参加していないのにグループの作品としてしまう力技も後期はともかく、この時期には画期的だ。中期のサイケ時代に重要な役割となる管弦楽のアレンジも、この曲から始まったのだ。スタンダード化した美しいメロディーも、ギターは変則チューニングだし、コードもsus4や7thを多用していて複雑だ。学校の音楽で、一体どんな風に教えているのだろう? 詞に関しては、ポールが亡くなった母親を想って書いたと云う説が一般的だ。元々歌詞がなくて「スクランブル・エッグ」と云うインスト曲だったらしい。

ポールにとっても、間違い無く転機となった曲だろう。ジョンには書けない甘いバラードは、以後大きな武器になったし、世間の目も変わった。ビートルズは、只ウルサイ音を出す子供向けのバンドでは無く、大人の鑑賞にも充分耐えられる紳士的な連中だと云うわけだ。勿論、そんなのは本当の姿では無いが。既に当時から彼等はドラッグをキメまくっていたし、だからこそこんな不思議な曲も当たり前の様に出来たのだ。

ポール自身、最高傑作と認めるだけあり、自分で2曲もアンサー・ソングを発表している。 一つは前述した「HERE TODAY」で、1982年にジョンへの追悼曲として発表された。誰が聴いても曲、アレンジなど全てが似ている。もう一つは1971年の「TOMORROW」で、Aメロが全く同じコード進行(勿論メロディーは別!)で、ジョンを思わずにいられない最高のCメロに涙する名曲!「昨日・明日・今日」を17年掛けて同じアイディアと違うアプローチで表現した天才ポール・マッカートニー若干23才の奇跡的な名曲。

それが「YESTERDAY」だ。演奏してるのは、THE BEATLES である。

(TEXT:未亜、written and compoced by イコ)
初出「hilite」2002-7



(小島藺子/姫川未亜)



posted by 栗 at 00:07| FAB4 | 更新情報をチェックする