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2009年06月08日

FAB4-074:I'M DOWN

女はそれを我慢できない [スタジオ・クラシック・シリーズ] [DVD] パーマネント・ヴァケイション ザ・コンサート・フォー・ニューヨーク・シティ [DVD]


 w & m:LENNON / McCARTNEY

 P:ジョージ・マーティン
 E:ノーマン・スミス
 2E:フィル・マクドナルド
 録音:1965年6月14日(take 7)
 MONO MIX:1965年6月18日
 STEREO MIX:1965年6月18日

 1965年7月23日 シングル発売、パーロフォン R 5305(モノ)


「1965年6月14日は、ポール・マッカートニー覚醒記念日」

ポールが敬愛するリトル・リチャードが主題歌を歌う「女はそれを我慢できない(The Girl Can't Help It / 米 1956)」を観て、一気に書き上げたロケンロール。本国ではシングル「HELP !」のB面に収録され、通例通りオリジナル・アルバムには未収録ですが、他のB面曲とは違い有名な楽曲です。其れは、1965年以降の彼等の実演でラストを飾る曲に選ばれたからでしょう。おそらく、ポールが「女はそれを我慢できない」を観たのは、主演の「金髪グラマー:ジェーン・マンスフィールド」を観たいってモチベーションが音楽面よりも強かったに決まっているのだけど、結果的に「LONG TALL SALLY(のっぽのサリー)」に代わる実演最終曲をモノにしました。が、待てよ。此の曲が「女はそれを我慢できない」同様にリトル・リチャード作で在る「のっぽのサリー」に似過ぎてはいないか?と云うか「女はそれを我慢できない」にも似過ぎてはいないか?つまり、

「のっぽのサリー」+「女はそれを我慢できない」
=「アイム・ダウン」じゃないのよさ。
(足して二で割らないのがポイントです。)

ポール、、、またやらかしたのね。此れはもう「潜在盗用」じゃ無いよね。本人がネタバレしてんだもん「『のっぽのサリー』に代わるライヴ最終曲を書こうとして『女はそれを我慢できない』を観たら閃いたんで、一気に書いた」と自白してるじゃん。だから、同日に録音した「卵料理」もみんなに「此れって盗作じゃないよね?」と訊きまくったわけだ。

「ポール、、、天然杉」

奇しくも、此の曲が録音された1965年6月14日は、三曲の「マッカートニー節」の傑作が連続して奏でられました。最初は「I'VE JUST SEEN A FACE(夢の人)」で、次が此の「I'M DOWN」で、最後が「YESTERDAY」です。フォーク・ロック、ハード・ロック、スタンダード・ロッカ・バラッドと変幻自在な名曲を三タイプも書き分け、続けて披露したのです。ジョン・レノンは嬉しかったでしょう。「お前ら観たか、此れが俺が選んだ相棒、兄弟、ポールの実力だっ!」と祝福するエレピが効果的です。

確かに元ネタはバレバレだけど、他の誰が此処まで「リトル・リチャード」を真似出来るでしょう?ポールこそが、白人最強のハードロック・ヴォーカリストです。エアロスミスやハートによるカヴァーを聴けば、如何にポールが凄いかが分ります。そもそも、リトル・リチャードって天才ですからね。黒人なのに白人の養子になったのは、彼が「同性愛者」だから実父に「お前みたいなオカマ野郎は、俺の息子じゃない!白い奴らにくれてやる!!」って地獄絵図だし、1955年にメジャー・デビューして名曲を量産して、1957年人気絶頂なのにヤメちゃって、神学を学んで牧師になっちゃって、1962年に復帰してって経緯からして「なんじゃそりゃ?」なのよさ。其れで英国ツアーの前座がビートルズだったわけですよ。リトル・リチャードのバック・バンドのギタリストには若き日のジミヘンが参加していたし、ビートルズが前座だった時の鍵盤が未だ10代のビリー・プレストンだったのですよ。みんな、リトル・リチャードの弟子じゃん。

さてさて、此の奇跡の「1965年6月14日は、ポール・マッカートニー覚醒記念日」が、時を隔て突如として蘇った事が在ります。其れは2001年、あの忌まわしい同時多発テロで犠牲になった消防士の為に、父親もボランティア消防士をして居た(THE FIREMAN の由来は此れでしょう)ポールが発案し実現した「Concert For New York City」で起こりました。主催者で大トリで登場したポールは、在ろう事か「I'M DOWN」を絶叫し、「YESTERDAY」を歌い、トドメに「LET IT BE」までやらかしました。ポールは慈善公演で必ず「LET IT BE」を歌う事だけでも「おいおい、なすがままに、じゃ解決せんだろ?」とツッコミたくなるのだけど、「アイム・ダウン」で「イエスタデイ」で「なすがままに」じゃ全く救いが無いじゃん!間には悪名高き迷曲「フリーダム」までやってしまいました。「あたしゃカックン!〜昨日は好かったナァ〜自由ばんじゃーいっ!〜なすがままに〜もっかい、アメリカさいこーっ!」ってさ、、、レノンやジョージが観たら怒りを通り越して呆れ果てますよ。でも、ポールはやってしまいました。おそらく本人は「最後に亜米利加でビートルズが歌った曲だよ、最近演奏してなかったし、みんな大喜びさ」とか単純に思ってやったんですよ。

「ポール、全く、お前って奴は、、、」

時間軸を戻し、其の奇跡の三曲「夢の人」「アイム・ダウン」「イエスタデイ」がミックスされ完成した「1965年6月18日」は、ポールの23回目のお誕生日でした。其の時、遂に「レノン・マッカートニー」が完成しました。出来過ぎた様な展開ですが、歴史的事実です。


(小島藺子)



posted by 栗 at 13:13| FAB4 | 更新情報をチェックする