此処の総アクセス数が、36万を超えました。
こんな奇妙な世界を御愛読有難う御座居ます。
此の36万の内の「11万」は、合併した母体で在る「COPY CONTROL」の数字です。決してイカサマでは在りません。本隊は、既に此処に移動した記事は消えて居ります。本当は「11万」じゃ、少な過ぎるんです。かつて「コピコン」は此処の数十倍の支持を受けて居りました。僅か数人にしか存在を教えなかった場所に、毎日100人以上が来たのです。そして、彼等の大多数は云った。「片瀬那奈の記事が邪魔だ!」と。其れで、僕は此処を分家しました。メイン・カテゴリが追い出されたのです。「嗚呼、洋楽板からビーヲタが追い出された時とおんなじじゃん。」と、僕は思った。歴史は繰り返すのだ。そして、分家から半年間、此処の平均アクセスは壱日一桁でした。多くても20人も居なかった。確かに、誰にも云わなかったけど「此れじゃあんまりだ!那奈ちゃん、正直すまんかった」と思いました。酷い日には、三人しか踏まなかったのです。其の内の一人はあたくしで、もう一人は盟友:うっぴー☆です。だから、僕は三人目の誰かに向けて書いた。知らない誰かが、見てくれて居るから、其の人の為に書き続けました。其れが誰なのかを知らされた時の衝撃は、生涯忘れないでしょう。僕は、部屋に帰って号泣しました。生涯、此処を続けようと誓いました。
いつの間にか、アクセス数が増え、遂には母体をも呑み込んだ此処は、逆に本来のカタチに戻ったのです。「COPY CONTROL」のコンセプトは「アナログ二枚組」でした。何故「ホワイト・アルバム」の原題は「THE BEATLES」なのか?何故、ディランはアノ作品を「自画像」と名付けたのか?何故、スティーヴィー・ワンダーは1980年代からコンセプト・アルバムをヤメちゃったのか?何故、トッド・ラングレンは「SOMETHING/ANYTHING?」の内ジャケで太陽に向かって勝ちどきを上げたのか?何故、ZEPは「聖なる館」って曲を「聖なる館」ではなく、次の二枚組に入れたのか?更に云えば、何故、ジョージ・ハリスンは三枚組の箱でデビュウしたのか?
ジョージ・マーティンみたいに、みんなは云った。「コピコンに片瀬はいらない!」と。「ゼンキロ」でも那奈ヲタが云った。「ゼンキロに那奈ちゃん以外の話はいらない!」と。でも、此の過剰と饒舌こそが、片瀬那奈の記録だ。何卒、宜しく。
(小島藺子/姫川未亜)