w & m:CARL PERKINS
P:ジョージ・マーティン
E:ノーマン・スミス
2E:ジェフ・エマリック(10/18)、ロン・ベンダー(10/21)、マイク・ストーン(11/4)
録音:1964年10月18日(take 1)
MONO MIX:1964年10月21日
STEREO MIX:1964年11月4日
1964年12月4日 アルバム発売(「BEATLES FOR SALE」 B-7)
パーロフォン PMC 1240(モノ)、PCS 3062(ステレオ)
アルバムを締めるのは、またしても「一発録り!」での完全実況カヴァー曲です。FAB4の全員が敬愛する「カール・パーキンス」ナムバーを、いたいけジョージが元気溌剌!で歌い弾きまくります。其の歌声には「STEED(シングル・テープ・エコー・アンド・エコー・ディレイ)」と云う名の深いエコーが掛かっていて、かなり変です。前作「A HARD DAY'S NIGHT」でもジョージが初めて弾いたリッケンバッカー12弦の音色がアルバムに統一感を持たせていましたが、此の「BEATLES FOR SALE」も彼によるカントリー風ギターが全篇に渡ってサウンド面の要になっています。早弾きなんかよりも、ずっと難しいのが独特の音色です。ジョージは本物のギタリストなのです。
そんな努力家ジョージを、ボス:ジョニーは認め、アルバムの最後と云う重要な位置を与えました。此れまで、其処にはレノンがいました。ジョージが主役の楽曲で終る英国オリジナル・アルバムは、此れのみです。其れは此の作品のカラーを決めたのが「ジョージのギター」だったからでしょう。日本人はジョージが好きですが、此の「ビートルズ '65」も好評です。後の「カントリー・ロック」の元祖とも云える味を出したのは、ジョージでした。其の彼がソングライターとしても開花する日も、実はすぐそこに来ていたのです。でも、其の前に子分ジョージの活躍に地団駄を踏む男がいました。
其の名は「ポール・マッカートニー」
前作「A HARD DAY'S NIGHT」よりも悲惨な状況に陥った彼は、遂に次作で覚醒します。ジョージ・マーティンは、此の作品を余り評価していません。確かにマーティン好みの音では無いし、現場に居たからこそ、やっつけ仕事で捏ち上げた作品と知っているからでしょう。然し乍ら、デビュー盤が基本的にはたった壱日で録音された様に、長い時間を掛ければ好いってもんでも無いのです。カヴァー曲のほとんどが正真正銘の実況録音一発録りであったのは、彼等の確かな演奏能力を伝えます。同時期に「ハリウッド・ボウル」での実況録音が米キャピトルの要望で実現(1964年8月23日)しますが、没になります。翌年も再挑戦し、其れもお蔵入りとなり、結局陽の目を見たのは1977年です。挙句に未CD化ときたもんだ。「ライヴは酷いな」と云う評価が関係者間では出ていたわけですが、観客は絶叫し音楽なんかよく聴こえてなかったし、彼等もプレイバックの音すら歓声にかき消される状況で、世界で初めてスタジアムで生演奏したのです。そんな状況に疲れ切ったアーシーなレノン、本当に疲れちゃったポール、ひとり溌剌とギターを弾きまくるジョージ(でも彼だって疲れてますよ、ジャケットでは無精髭まで生やしてます)、そして何も考えていないリンゴ。狂乱の1964年は終わりました。世界のアイドルとなった彼等の、驚くべき1965年が始まるのでした。
(小島藺子)
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