

w & m:JERRY LIEBER / MIKE STOLLER / RICHARD PENNIMAN
P:ジョージ・マーティン
E:ノーマン・スミス
2E:ジェフ・エマリック(10/18)、トニー・クラーク(10/26)
録音:10月18日(take 1)
MONO MIX:1964年10月26日
STEREO MIX:1964年10月26日
1964年12月4日 アルバム発売(「BEATLES FOR SALE」 A-7)
パーロフォン PMC 1240(モノ)、PCS 3062(ステレオ)
「BEATLES FOR SALE」のA面を締めるのは、ポール・マッカートニーの絶唱です。かつて、此のカヴァー曲は単に「カンサス・シティー」と表記されていましたが、ポールが参考にしたのはオリジナルでは無く、敬愛するリトル・リチャードが改変したカヴァーでした。言わば、此れはジョン・レノンによる「TWIST AND SHOUT」と同じ図式で、ビートルズがやらかしたのは「カヴァーのカヴァー」だったのです。二番煎じでは無く、出涸らしの参番茶を出したわけだ。
ところが、其れは魔法のお茶でした。急場しのぎでのカヴァーで逃げるしか無かった状況での「1964年10月18日」に、ジョンは「御馴染みのカヴァーを、一発録りしちゃおうぜっ!」と決めた。其れに、相棒ポールは応えた。此のカヴァーは実際には「2テイク」録音されましたが、初回の方が圧倒的に勝っていた為、音盤化されたのは「一発録り!」になりました。勿論、完全なる実況録音です。ビートルズの四人と、鍵盤担当の制作者で五人目のビートルと云われた「ジョージ・マーティン」を加えた「五人」による正真正銘の実演です。如何なるオーヴァー・ダビングもされていません。凄い!最近の若い人には「ビートルズって、ライヴが駄目じゃん、下手じゃん」とかヌカす可哀想な御仁もおられる様ですが、云っちゃうけどさ、聴いて無いだろ?もしも聴いて云ってんのならさ、おまいらは「ホウイチ」じゃん。此の頃のカヴァーってさ、ほとんどが「スタジオ・ライヴ」の一発録りだったのよさ。何処が下手なの?ポールが「ロックじゃない」なんて云えますかぁ?
ポール本人が述懐しています。「僕は、無理だと思った。でも、ジョンが『君なら出来るさ!』と励ましてくれたんだ。そして、やったよ!」と。美しいナァ。特に、後半の「HEY,HEY,HEY,HEY」になってからの「ポール対ジョン&ジョージ」の掛け合いが、ゾクゾクさせられます。ポールが有頂天になってアドリブをかまし乍ら高音で絶叫し、ジョン&ジョージが追っかけコーラスを延々と続ける展開は、後の「HEY JUDE」へと繋がって行きます。ポールは、愛するジョンの期待に応えました。励まされて、本当に嬉しかったのでしょう。其れが、永遠に刻まれた音盤にしっかりと遺されています。
「ポール覚醒、間近!」
ジョンは「してやったり!」だったと思います。未だ、レノンは余裕がありました。まさか、自分の予想を超える「眞の怪物を起こした」とは思っていなかった。確かに、レノンは初対面からポールを畏怖していました。「こいつをバンドに入れたら、俺が喰われちゃうかもよ」と予測はしておりました。ましてや、其のポールが連れて来た「子供:ジョージ」なんて眼中に無かったでしょう。ポールもジョージも「ジョニーに認めて欲しい!」と願った。ジョニーを追っかけた。そして、事態はドンドンとトンデモない事になって行くのです。今後のビートルズは「僕たちの好きだった革命」に強引に例えるならば、「山崎クン=ジョン」「未来ちゃん=ポール」「日比野クン=ジョージ」みたいな展開になってしまいます。
ジョン・レノンと云う稀人に憧れたポール・マッカートニー&ジョージ・ハリスンの二人も稀人でした。クオリーメン時代からの三人共が、普通なら「自分がリーダーのバンドを率いても成功する」レベルでした。そんな三人が長い下積みを経験して、万感の想いで絶唱する「HEY,HEY,HEY,HEY」に、心を撃たれるのも致し方ないでしょう。美しいよ。綺麗だ。
(小島藺子/姫川未亜)
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