w & m:LENNON / McCARTNEY
P:ジョージ・マーティン
E:ノーマン・スミス
2E:ジェフ・エマリック(10/18)、ロン・ベンダー(10/21)、マイク・ストーン(11/4)
録音:1964年10月18日(take 8)
MONO MIX:1964年10月21日
STEREO MIX:1964年11月4日
1964年12月4日 アルバム発売(「BEATLES FOR SALE」 A-5)
パーロフォン PMC 1240(モノ)、PCS 3062(ステレオ)
さて、ようやくポールの出番が来ました。名曲の誉れ高い「僕は那奈ちゃんを追う」こと「I'LL FOLLOW THE SUN」は、基本的にはポールの単独作品です。然し乍ら、此れは旧作の焼き直しだったのです。ポールが此の曲を書いたのは録音される五年も前で、彼が未だ16才だった頃の習作でした。でも、流石は後に「20世紀最大のメロディー・メイカー」と賞賛されるポール・マッカートニーです。若干16才で名曲を書きました。ボス:ジョニーも「好い曲じゃん!」と認め、無名時代から実演で演奏していました。されど、此のフォーク・バラードは、なかなか発表されなかった。データでお分かりの様に、此の曲は追い詰められた彼等が何とかしてアルバムを埋める為にカヴァーに逃げた「1964年10月18日」に録音されたました。つまり、ポールは旧作を引っぱり出して来たわけです。
「BEATLES FOR SALE」のセッション用にポールが書けた新曲は、シングルB面で発表された「SHE'S A WOMAN」(インスト曲「CROSS FIRE」の盗作です!)と「EVERY LITTLE THING」(ジョンがリード・ヴォーカルを担当!)と「WHAT YOU'RE DOING」(全曲カヴァーで最後に見つかった程の駄曲です!)の、たったの三曲でした。ジョンとの共作も二曲(「BABY'S IN BLACK」と「EIGHT DAYS A WEEK」)在りますが、貢献度は未だ未だ低かった。ジョンにオンブに抱っこ状態での「レノマカ」でした。もたもたしていると、何やらチャッカリと「YOU KNOW WHAT TO DO」なんて曲を書いていたジョージ・ハリスン如きに負けてしまうかもしれない!との危機感もあったでしょう。
此の楽曲も、苦肉の策で録音されたと思われます。しかも、以前から演奏されていたポール作の其れとは明らかに違っています。其れは、レノンのハーモニーです。かつては「ポールによるダブルトラック」なんて出鱈目が罷り通っていた程に息の在った「レノマカ」の二重唱が、此の楽曲を光らせました。おそらく、ジョンが大いに手伝って完成版へ向ったのでしょう。そして、ジョージが奏でるギターも好いです。苦楽を共にした三人が10代から演奏して来た楽曲をほろ苦い20代前半にリメイクした佳曲です。何とも愛らしいのは、元々が10代の感性で書かれたからです。「明日は雨かもしれない、だから僕は太陽を追う」と云う「意味不明」な歌詞が逆に切ないのです。更に、既に大人になってしまった三人がリメイクした事で何とも云い難い「苦み」が加わりました。此の楽曲で「リンゴの立場は、在りません。(キッパリ!)」クオリーメン時代から一緒だった三人だからこそ出せた味です。美しい。傑作です。いえね、リンゴだってちゃんと参加してはいるんですよ。太鼓じゃなく、脚を叩いてます。ま、アンプラグドですからね。
さて、此の楽曲を当時カヴァーした三流歌手がいます。其の名は「Glyn Johns」。ええ、そうです。後の「ビートルズ物語」で重要な役割を果たしますし、Led Zeppelin なる集団のデビュー盤でエンジニアも務め、有名なプロデューサーへと成長して行く「グリン・ジョンズ」其の人です。凡庸な唄い手にすぎなかった彼ですが「太陽を追う志」は、本物でした。ビートルズに関わってしまった方々は、みんな何かを成し遂げて行く事になります。彼らにとっては、ビートルズこそが「太陽」でした。其れにしても、16才の少年が作ったとは思えない程に「暗い世界観」が描かれています。ジョンが用意した新曲ともリンクします。おそらく、此処で歌われる「太陽」とは、ポールの母親でしょう。ジョンとポールには、決定的な共通点が在りました。其れは、お互いに10代で母親と死別した事実です。其の二人が歌う「慕情」に、僕たちは感動するしか在りません。此れは「女性賛歌」です。「1964年の太陽」が「そうじゃないんだ、本当の太陽は、女の子さ」と歌ったのです。
(小島藺子/姫川未亜)
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